MaruichiMaruichi

Life 感謝文

平成30年4月1日

生きているということは、

 誰かに借りをつくること

 生きているということは

 その借りを返していくこと

 誰かに借りたら、誰かに返そう

 誰かにそうしてもらったように

 誰かにそうしてあげよう

 誰かと手をつなぐことは

 その温もりを忘れないでいること

 巡り合い、愛し合い、

 やがて別れのその時、

 悔いのないように今日を明日を生きよう

 

 人は一人では生きて行けないから

 誰でも一人では歩いて行けないから

 今日から、社会へと巣立ってゆく皆さん。

 おめでとうございます。今まで、ご両親や、兄弟、先輩、友人、先生など多くの人の支えのもとに、助けのもとに、今の皆さんがある。

 これからも一人では生きて行けません。

 「働く」とは、世の中への恩返しです。

  本日のご来店心よりお待ちいたしております。

平成30年4月1日

自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのない道。

 広いときもある。狭いときもある。上りもあれば下りもある。坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。

 この道が果たして良いのか悪いのか、思案に余る時もあろう。しかし所詮この道しか無いのではないか。諦めろというのではない、今立っているこの道、今歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。

 自分だけしか歩めない大事な道ではないか。

他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しも開けない。

 道を開くためには、まず歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。

 松下幸之助氏の「道をひらく」の最初の一文。今日が門出の皆さんに読んでほしい一冊です。

  本日のご来店心よりお待ちいたしております。

平成30年3月25日

先日、マルイチのお客様旅行がありました。120名のご参加をいただき、とした楽しいシンガポール4日間の旅でした。

 帰りの飛行機で、座席指定がうまく行かず、夫婦・親子・友達などがの席となり心配したのですが、Tさんなど数名の皆さんのご協力で、もできて最後の帰りの飛行機も楽しく過ごさせていただきました。

 私ども夫婦も、のになっており、しょうがないかと思いつつしたのですが、家内のの席であったTさんが、私の方に来られて「奥さんとご一緒にどうぞ」といってくださりました。Tさんはさらに、私と変わった席でもおの人に「お知り合いの方と変わってあげましょうか」と言われ、その席もれ、親子別々のお席だった方とも変わってあげられ、夫婦・親子・友達3組がTさんのおかげで同席となり、5時間の飛行機の旅もなくゆっくりと過ごさせていただくことができました。Tさんのような皆さんばかりで、お互いを思いやり、楽しくそして感謝の多い旅行でした。

本日のご来店心よりお待ちいたしております。

平成30年3月18日

ここに四個のリンゴがあります。この四個のリンゴを三人の子どもで分けると、一人はいくらになりますか」。答えは1個と三分の一です。

 ところがある子は「一個」と答えました。もちろん「×」です。お母さんに叱られます。「どうしてこんなやさしい問題ができないの」と。

 あるお母さんは、優しく子供に聞きました。「お母さんは一個でもいいと思うの。でも、三人が一個ずつリンゴをもらったら、リンゴは一つ余るでしょう。その余ったリンゴはどうするの?」「お母さん、私もそれを考えたのよ」。  「私、余った一つのリンゴを仏さまに供えようと思ったの。でもそのことを書くところがなかったので、一個とだけ書いておいたの」

 その母親は「お母さんはあなたが大好きよ」と、その子を抱きしめたと言います。

 やさしい子どもなんです。隣に一人で住んでいる老人に、その一個のリンゴを食べてもらおうと考えている子供もいるのです。

 仏さまのような心を持った優しい子どもたちもいるのですね。今日からお彼岸です。

  本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成30年3月11日

七年前の三月十一日。東日本大震災。こんな話もありました。佐藤さんはその時、港のすぐ傍にある会社で業務に当たっていました。佐藤水産は、全国に出荷を続ける生ウニの老舗です。 近年では中国の大連から研修生を二十人受け入れてました。午後二時四十六分、突然の激しいがました。驚いた研修生たちはすぐに寄宿舎のの小高い場所にしました。

  佐藤さんはながら寄り添う研修生の姿を発見するや「もうすぐ津波が来る。早く避難しなさい」と大声で伝え、高台にある神社まで連れて行きました。そして、残っている従業員や研修生はいないかと、自らの危険をことなく再び会社に戻ったのです。

 佐藤さんは屋上に逃げたものの、高台にいる研修生の前でついにごと津波にまれ、亡くなりました。「あの時、もし佐藤専務に助けられなかったら、私たちは全員津波のになっていた」研修生たちがそう涙ながらに語る姿を、中国のテレビや新聞はに報じました。 このの行為が大きな感動を呼びました。

  本日のご来店心よりお待ち致しております。