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Life 感謝文

令和5年4月22日

お客様、ありがとうございます。
スウェーデンのシンクタンク、VDem研究所によれば、明確に定義づけられる世界の民主主義国は、二〇一二年の四三カ国をピークに減少し続け、現在、三四カ国となり、世界人口の一三%に止まっています。一方、明確に定義づけられる閉鎖的独裁主義国は二五カ国から三〇カ国に増え、世界人口の二六%になりました。残りはそのどちらとも言えない中間国です。また、表現の自由が著しく悪化した国は十年前はわずか五カ国でしたが、二〇二一年だけで、クーデターにより四カ国が独裁国に移行、現在は二五カ国になっています。今、日本の民主主義も危ないのです。(JFEホールディングス名誉顧問 数土文雄氏談)
明日は、市議会議員投票日です。投票率が年々低下しています。投票率が低いと一部の組織票で当選でき、それでは民意を反映する政治や街づくりができるはずありません。
民主主義を守るため、私達の日々の権利と生活を守るための一票です。今まで、政治への無関心と、無責任だったことを大いに反省です。
明日は身近な人達に投票を勧めたいと思います。
本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和5年4月15日

お客様、ありがとうございます。

「ムツゴロウ」こと畑正憲さん、八十七歳で死去。

クマやサル、オオカミなど凶暴性のある動物たちをも、いとも簡単に手なづけられます。

「動物たちも人間と同じ生き物ですからね。なぜ暴れるか?なぜ攻撃するのか?それは、自分が周りに受け入れてもらえないと感じ疎外感を抱えているからなんです。だから僕はね『ようし、よし。大丈夫だ。本当はお前、いい子なんだよ』って触りながら、心を開く姿勢を見せる。最初は攻撃してきます。

それを大きな気持ちで受け止めるんです。ここで動揺してはならない、噛まれたり引っかかれたりして痛みがあったとしてもぐっと堪える。『自分が傷つけたはずなのに、それでも僕を信じてくれる』。その思いが伝わって、やっと信頼関係が生まれるんです」。

撮影中、ライオンに噛まれて指の先を失ったこともある。それでも「あの指はあの子にあげたんです」と。「生き物本来の優しさを取り戻せるならくれてやりますよ。ほら、まだ何本か残っている」。どんな生き物の心も鷲掴みにする奇才はそう言って破顔した。動物たちと親密になれることと優しさを教えてくれた人だった。
宮崎日日新聞

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和5年4月8日

お客様、ありがとうございます。

今、家族崩壊が始まっている。

それがはっきりと現れているのが家庭の食卓。

家族が家にいても同時に食卓につかず、たとえ一緒に食卓を囲んでも違う物を食べる「バラバラ食」。さらには一日三食の習慣も崩れて、みんなマイペースで好きな時間に、勝手に食べる「勝手食い」も増えている。

「バラバラ食い」や「勝手食い」の家では、親は子どもが何を食べたかも知らなかったり、無関心になっている。

そしてお父さんは「メタボ」「生活習慣病」を指摘される年齢になっていても「食事の健康管理は自分でして」と言われている。

「家族の絆」も「手づくりの内食」も減少方向に進み、家族という、もっとも密接な人間関係が内側から怪しくなってきている。

岩村暢子著「家族の勝手でしょ」

健康と家族を結ぶ絆を育むのが家族揃っての食卓と団らん。そしてお母さんの手料理。

心身の健康と、絆づくりは家庭内食から。マルイチの使命は家庭内食の応援です。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和5年4月1日

お客様、ありがとうございます。

キューバの革命家ホセ・マルティは「食料を自給できない人たちは奴隷である」と言っている。

日本の食料自給率は戦後一貫して下降を続け、先進国の中でも最低の37%(英国の半分)である。食料は輸入したほうが安いという安易な考えで、貿易重視の政策が取られてきたからである。

ウクライナ紛争が勃発。自国民を守るために農産物の輸出を止める国は既に30か国にも上っており、一度、日本が戦争に巻き込まれたら、食べるものがないという現実が目の前にある。

今年は何とか凌げたが、来年は農家への肥料供給も困難になる可能性さえある。結果として少なくとも困難になる可能性さえある。結果として少なくとも農作物の収量は半減しかねない。

家畜の餌となる穀物や飼料も、同様に深刻である。家畜の飼料は、90%以上輸入に頼っている。卵・肉も食べられない状態になるのである。

このように、日本の食料自給率は、実質的には10%あるかないかだという驚愕の実態が見えてくる。日本の豊かな食生活は実は飢餓と隣り合わせであることを私達は認識しなければならない。

文藝春秋4月号特集「日本の食が危ない」から

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和5年3月25日

お客様、ありがとうございます。

按摩の仕事に情熱が持てないまま高校2年のある日のこと。近所のおばさんが「肩が辛い。あんた揉んでくれないか」と。20分ほど按摩を施して、しばらくすると再びやってきて、満面の笑みでこう言うのです。「あんたに揉んでもろうたら肩がぽかぽかして痛くなくなった。エプロンの紐も後ろ手で結べた。ありがとう。本当にいいことを学んどるな」余程嬉しかったのでしょう。

何度も御礼を言って「これはおばさんの気持ちや」と大きな西瓜をくれました。

高校生の自分がここまで人を喜ばせることができるとは。あれほどいやだった按摩という仕事に誇りを持てるようになったのは、それからです。私の変化に気づいた担任の先生が「そんなにやる気があるなら教員になる道もあるぞ」この言葉に奮起して東京教育大学へ進学、盲学校教師への道を歩みました。19歳、東京パラリンピックに卓球の岡山代表として出場。岡山駅を出発する時、おとなしい父が、電車のベルが鳴るや否や大声で「竹内昌彦、万歳」と3回叫んだのです。それは、全盲の子をここまで育てあげた父自身の勝利宣言でした。

元盲学校教師竹内昌彦氏の講演から

本日のご来店心よりお待ち致しております。