MaruichiMaruichi

Life 感謝文

令和2年7月26日

お客様、ありがとうございます。

 妻に対して心がけていることがひとつある。

晩飯を一口、口にしたところで「ああ、うまい!」と小声で叫ぶのだ。美味しかろうとまずかろうと、いつもそういう。これは半分は自己暗示の
ためである。「うまい」と叫ぶと本当に美味しく思えてくるものなのだ。

 半分は妻への感謝である。妻は一日、夫の帰りを待って、あれこれ工夫して夫のための料理を作っている。その料理を「まずい」と言われたのでは、妻の一日は否定されてしまう。

 「うまい」と言ったあとに「ちょっと塩味がほしいから醤油を取ってくれ」と言われれば妻はそう傷つくことはない。これが頭ごなしに「塩味が足りないじゃないか。醤油を取ってくれ」と言われたら、妻は不愉快な思いを抑えきれないだろう。妻が不快になれば、夫の自分も愉快ではない。

 こうして考えると、料理を美味しくするもまずくするも、物事を面白くするもつまらなくするも、人生を成功させるも失敗させるも、所詮は自分次第だとわかってくる。陰と陽のいずれかを見るかの習慣にかかっているとわかる。

斎藤茂太(いい言葉はいい人生を作る)

ポジティブな言葉習慣こそ、幸多き人生への道。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

合掌

令和2年7月19日

お客様、ありがとうございます。

1600年に来日したウィリアム・アダムスは、日本の清潔さに驚き、幕末に来日した考古学者シュリーマンは、「日本人が世界一清潔な国民であることは異論の余地がない」と書きました。

 清潔を重んずる土壌もあり、今回のコロナ渦で、日本は被害を最小限に抑え込みそうです。死亡者数が人口の割に異常に小さいのを見て、諸外国が驚いています。五月中旬に米外交誌フォーリン・ポリシーが「日本の新型コロナ対策はことごとく見当違いに見えるが、結果的には世界で最も死亡率を低く抑えた国の一つである。奇妙な成功」と述べました。

 オーストラリアのABC放送は「日本は満員電車、高い高齢化比率、罰則なしの緊急事態宣言、低い検査率など。イタリアやニューヨークの二の舞になる全てを揃えていた。封じ込め成功はミステリー」と述べました。

 英紙ガーディアンは「衛生観念の高さと、ウイルスに対する国民の静かな決意が賞賛される」と書きました。医療従事者の検診努力は勿論ですが、国民の高い公衆衛生意識、規律や秩序など高い公の精神、すなわち民度の高さの勝利なのです。

 数学者 藤原正彦 第二波に備えマスク・手洗い、思いやりと辛抱です。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

合掌

令和2年7月12日

お客様、ありがとうございます。

師匠にはふたつありまして、よいことをするのはそのまま真似していい、プラスの師匠であります。

 悪いことをして、やってはならんようなことをして、それを真似すまいという人は、師匠は師匠だがマイナスの師匠であります。

 プラス・マイナスの別はありますけれども、まあこちらさえ落ち着いて広い心をもっておれば、世の中の人すべて、師匠でない人はないということにもなるかと思うのであります。

 これはなんでもないようなことでありますが、毎日憤慨して生きるよりは、ずいぶんと嫌な人にも会うけれどもああいうことをしてはならんのだなと。こっちは授業料を払っておるわけではありませんから、ただで教えてくださるのでありますから、ありがたいと思うのであります(笑)。そういうふうに考えておりますと、世の中も広々としてきますし、またたとえ悪いことをやってもその人に人間としての愛情を持つことができるかと思うのであります。

 悪口言ったり、ぐちを言ったり、憤慨したりするより「他人の振り見てわが振り直せ」で、師匠として感謝できた方が良いのであります。

平澤興講話選集より

本日のご来店心よりお待ち致しております。

合掌

令和2年7月5日

お客様、ありがとうございます。

 百歳でタレントになった「きんさん、ぎんさん」双子姉妹成田きんさん107歳、蟹江ぎんさん108歳。

 好き嫌いがなく、何でも食べ、バランスが良い食生活と散歩、楽しい食卓が長寿の秘訣と言われています。

 特にぎんさんの好物といえば、「魚」と「日本茶」。

・魚は、良質なたんぱく質が摂取でき、特に青魚の油は血液をさらさらにする効果があります。ぎんさんは、ほとんど毎日魚を食べていました。

・一日に何杯もの日本茶を飲まれたそうです。お茶の成分であるカテキンは「動脈硬化=老化」を抑える抗酸化作用があり、ぎんさんの動脈は柔らかく「ぎんさんの体は20歳若い!」とも報道されていました。

 夕食は家族みんなで沼沢を囲むのが日課。ぎんさんからひ孫までみんなの顔が揃い、バランスのよい食事が摂れ、さらに会話をしながら楽しく食事をすることで「まだまだ、長生きをしたい」といつも言っていたそうです。

 信念は「人間は足から死ぬ」。百歳になってからも、一日30分の散歩が日課で「自分のことは自分でせにゃいかん」の口癖でそれを実践された生活でした。

 第一日曜日、財光寺店で健康野菜のお買い得市を開催しています。

 本日のご来店心よりお待ち致しております。

                                    合掌

令和2年6月28日

お客様、ありがとうございます。

 125年前の明治28年、コレラに襲われた漁村で3日だけ働いて絶命し、神になった警官がいた。増田敬太郎享年25。佐賀県唐津市の増田神社の神である。

 唐津警察の巡査に任命されたばかりの彼は、コレラが蔓延している高串区に派遣された。

 巡査は新人とは思えない働きをする。患者の家の周りに縄を張って立入禁止とし、周囲を消毒し、生水やナマの魚介類を口にすることを禁じる。「コレラの薬を飲むと死ぬ」と言った風評を打ち消すために、根気よく誤解を解いて回る。その時死者は9人。むしろで巻いた遺体を急遽設けた山上の墓地まで、一人で遺体を背負って運び上げる。感染を恐れて手伝う人はいない。死物狂いで働いた巡査は3日目の午後、突然コレラを発症し、翌日「高串のコレラは、私が全部背負ってゆきます、安心して下さい」と、息を引き取る。

 不思議なことにその後間もなく高串区のコレラ感染は収束した。村民は増田巡査に感謝して、秋葉神社に遺骨を埋葬、後に祠や神殿を建てて合祀した。秋葉神社は増田神社となり、増田巡査は神になった。

 今でも7月26日に近い日曜日の夏祭りに、白馬に乗った増田巡査の人形が街を練り歩く。

 本日のご来店心よりお待ち致しております。

                                    合掌