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Life 感謝文

令和6年11月9日

黒澤丈夫が村長まだ一期目の時。村に宿泊施設を造るので、お金を貸して欲しいと群馬県に働きかけをした。県は「上野村みたいな交通不便なところは、観光業なんて成り立つわけが無い」とけんもほろろ対応。黒澤は、県の担当者にこう切り返した「あなたは家族が居るでしょう。あなたは結婚して子どもが出来たらその子達のために何かしようと思わないのか。私は村長だ。つまり私にとって、村民は私の子どもなんです。私が村民を助けてあげられなければ、私は村長なんかやってる意味がないんだ!」
就任僅か2年ほどの村長が、こんなに激しく直訴したのである。観光拠点を造り村を人口減少から救う。政策であり、信念でもあった。「道徳水準の高い村づくり」。それは彼の大目標である。「法律や規則など文書にしたもので規制する前に、まずお互いが助け合い、思いやるという道徳律が無ければならない」。その村長の思いが浸透してる村消防隊員は、御巣鷹山の日航機墜落現場に一番に乗り込み、村全体で救出活動に当たった。 瀧澤中著「人望力」
この黒澤村長のような高い志を持ち、村のため、村民のために尽くす政治家が増えて欲しい。
民主主義です。志の高い政治家を選ぶのは私達。
本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和6年11月2日

世界は「有機(オーガニック)」に向かっています!
温暖化による気候危機や食糧問題が世界を覆う今、オーガニックを推進する国が増えています。
世界の有機食品売り上げは、二十年前の十倍、十年前の二倍の一兆五千億円。日本はこれから。
お隣の韓国では、三十年前から国策として有機農業を振興させ、有機農家の増加で余剰が出た農産物を政府が買い取り、学校や役所、病院など、公共施設の食事で活用推進。また、妊産婦に有機野菜を月二回届けるプロジェクトもあります。
台湾では、四十年前から、国営の有機農業推進センターが中心となって、土壌中の微生物分析を勧め有機農家の増産を支えています。
インドキッシム州では、ガンをはじめとする健康被害や、農薬や化学肥料による土壌汚染の深刻化を受けて百%オーガニックを実現。
スリランカでは、三年前に化学肥料を輸入規制。
国内農業をすべて有機にする挑戦を遂行中。
ヨーロッパ諸国はオーガニック先進国ですが、デンマークの首都コペンハーゲンでは、家庭にある食品の九十%が有機と言われています。
オーガニックIFOAM世界理事三好智子さんのレポートから
本日のご来店心よりお待ちいたしております。

令和6年10月26日

「一怒一老、一笑一若」中国の諺です。
一回怒ると一つ年をとり、一回笑うと一つ若返るといいます。
人間は怒ると、脳内にノルアドレナリンなどのホルモンが分泌され、反対に笑うとエンドルフィンというホルモンが分泌されます。
怒った時に出るホルモンは有害で、身体を老化させ、笑った時に出るホルモンは若返りを促します。笑うことによって、ガンなどの病気も治るとさえ言われますし、また女性が男性より長生きするのは「女は男よりもよく笑うから」とも言います。のんきで、何でもケラケラ笑える人が「あんた長生きできるよ」と言われるのもあながち冗談ではないようです。
健康で長生きの秘訣は「よく笑うこと」です。
122歳まで生きたフランス女性、ジャンヌカルマンさん(一八七五年~一九九七年)。
八五歳でフェンシングを始め、一〇〇歳まで自転車を乗りこなし、一一七歳までたばこを吸い続けていたというカルマンさんの長生きの秘訣は「笑うこと」「退屈しないこと」だそうです。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。

令和6年10月19日

静かに行く者は、健やかに行く
健やかに行く者は 遠くまで行く
静かに 健やかに 遠くまで
いやいや、多忙は幸福です。多忙な人間は多望な人間、つまり、希望の多い人間ということだから。
男がやりかけたことだ。行きつくところまで行くまでさ。今更振り返ったりしておられるか。
「短い人生だろう、人々とは友達になることだ。人間がほかの生き物と違う所以は、意思疎通できるということだからね」「私は誰に会っても、グッドモーニングということにしている。ただの挨拶ではない。本当にその人にとって、よい朝が来るようにとね」
尊敬するに足るひとを、一人でも二人でも多く持てるということ……。それは人生における何よりもの生きる力になることであろう。
青春とは、楽しむためのものじゃない。青春は鍛えるためのものなんだ。
百倍の夢を持とう。それで実現するのが十倍ぐらいだ。
城山三郎著「静かに健やかに遠くまで」
友達は「いいもんだ」といつも思っています。
本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和6年10月12日

お客様、ありがとうございます。
三人目の子がお腹にいた、二年前の夏。買物に出かける途中、あまりの暑さに眩暈がして目の前が真っ白になり、気を失ってしまったのです。目を覚ますと、そこは病院、私の手を握る小学生の高学年くらいの見知らぬ女の子。私が倒れたとき救急車を呼び、ずっと私の手を握ってくれていたのです。
「おばちゃん元気になって良かった!元気な赤ちゃん産んでね」と。「本当にありがとう」。涙が止まりませんでした。お腹にいた子も今では二歳、あの時の女の子のような優しい子に育ってほしいと願っています。  横須賀市 山田恵美子 
その男の子が、おばあさんの孫かどう分かりません。車で信号待ちしている時でした。北海道の道は広く、ゆっくりとした足どりのおばあさんが半分くらい道を渡ったとき、もう信号が赤に変わりました。流石に慌てるおばあさん。その時後ろから来た小学四年くらいの男の子が、おばあさんの横にぴたっとくっついて、片手を上げこちらに会釈をしたのです。
渡り終えると、野球帽をとって、ペコンと私たちにお辞儀をしました。「いい子ね」と思わず呟く私の瞼が熱くなりました。  札幌市 神田和子
「涙が出るほどいい話」から二題。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。