MaruichiMaruichi

Life 感謝文

令和6年2月17日

お客様、ありがとうございます。

花屋の爺さん/花売りに、

お花は町で皆売れた。

花屋の爺さん/さびしいな、

育てたお花がみな売れた。

花屋の爺さん/日が暮れりゃ、

ぽっつり一人で小舎の中

花屋の爺さん/夢にみる、

売ったお花の倖せを。  金子みすゞ

 

売ったお花のしあわせとは、どんな時。花を買った人が花を見て「きれいだな」と、しあわせな気持ちになってくれた時。花屋の爺さんが、売ったお花のしあわせを想うとは、花を買ってくれた人が、花を見て、しあわせな気持ちになってくれるといいなと願う心なのです。花だけがしあわせということはないのです。私達だって同じです。〝一人だけがしあわせということはない〟のです。みすゞさんのしあわせは〝幸せ〟ではなくて側に人が居る〝倖せ〟という字なのです。倖せとはしあわせがこだまし合っている姿です。朝「おはよう」といえ、夜「おやすみ」と何の不安もなく眠れることです。

その上で、家族の笑い声や、友達との楽しい語らいがあれば、おまけ以上です。

矢崎節夫

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和6年2月10日

お客様、ありがとうございます。

草は草食動物に食べられ、草食動物は肉食動物に食べられて、肉食動物の繁栄を支えている。

その肉食動物も、やがて死を迎えるとバクテリアによって分解され、植物の栄養となるのです。

見方を変えますと、すべての動植物は自分の命を差し出して他の生き物を助けてあげていますが我々人間は、植物でも動物でもすべてのものの命を頂いて、繁栄を続けているのです。

私にはこういう思いが湧いて来るのです。

ならば、他のもの達に対して何か施しをすることも考える必要があるのではないだろうか。

我々人間も、僅かでもいいから、世のため人のため、地球上の生き物のために尽す生き方が人間として大変、大事なのではないか。そこに人生を生きていく意義があるのではないかと思うのです。

私達は万物の王者と、傲慢に生きるのではなく、総てのものに感謝と優しい心で生きてゆくべきではないかと思うのです。     京セラ 稲盛和夫氏談

肉食動物は同じ仲間を食い殺すことはないと言われる。それなのに人間は、いつまでたっても戦争(人殺し)を止めることが出来ない。哀しい。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和6年2月3日

お客様、ありがとうございます。

 

寒さが厳しい。日向百生会の畑には毎日白い霜が降りる。今が旬のほうれん草。朝の冷え込みが厳しいほど甘みを増す。

百生会の畑で除草剤を始め農薬は使わないので、ほうれん草と雑草が共存している自然畑である。

米ぬかやおからを発酵させた有機ぼかし肥料で育てたから、シュウ酸が少なく、甘くて美味しい。

ほうれん草が嫌いな子供さんも喜んで食べる。 昔の人は、ほうれん草といったら、アメリカの漫画「ポパイ」を思い出す。大ヒットした「ポパイ」は、ピンチになるとほうれん草の缶詰を食べて元気百倍、敵をやっつける。痛快なストーリーであった。世界中で、栄養価の高い野菜として人々の健康作りに役立ってきた。

ほうれん草は、カルシウムが、二十から百ミリグラム。鉄分が二ミリグラム以上とダントツである。さらに、ヨード、銅、マンガンなどを含み、貧血症に悩む人には、もってこいの野菜である。ビタミンもA、B2、C、D、Eと総合ビタミン剤並である。風邪予防にもなる。

おひたしや油炒め、味噌汁、サッと湯がいて、ゴマドレや醤油マヨネーズで毎日食べてほしい。

本日のご来店心よりお待ちいたしております。

令和6年1月27日

お客様、ありがとうございます。

 

自分の仕事を有難い、もったいないと思わないかん。自分の仕事に対して頭を下げるぐらいでないといかんな。仕事を粗末にし、軽蔑していたら仕事の行儀が悪くなる。仕事を始める前に、まず頭を下げて敬虔な気持ちになって仕事をする人は行儀がよくなる。お経を書く。今日、写経が盛んになって結構だが、一字につき三回礼拝をする、それを一字三礼という。それ位、仕事に敬意を表する。大工さんの道具は、勝手の知らん人には触れさせない。それほど道具を大切にしている。お百姓さんも泥だらけになった道具は洗って吊るしておく。

毎日使用する鍬でも毎日綺麗に洗ってしまっておく。これは、職業に敬意を表している姿なやの。ですから、職業を粗末に考えたらいかん。

仕事は、生命の源であると同時に一生の身の保護になる。命もそれと一緒や。(中略)

人間の値打ちは大勢の人間を喜ばすことにある。仏教の教えでは、一切衆生といいますから、すべてのものを喜ばすということです。

「人間はねえ」 元清水寺貫主 大西良慶著

大谷選手やイチロー選手は行儀よい。一流です。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和6年1月20日

お客様、ありがとうございます。

 

かつての日本人は、すべての存在の中に神(精霊・魂)を感じていました。人の中にも、小さな虫の中にも、石ころの中にも、木の中にも、星空にも、雨や風にも、そしてトイレにも。古い道具に宿る神は「九十九神」、貧乏や疫病でさえも「貧乏神」「疫病神」という言葉がある通りです。

あらゆる現象や物にそれぞれの個性的な神を見てきた日本人、それを「八百万の神」と呼びました。だから日本人にとっては、食べること、仕事をすること、生活すること。そのすべてが神との対話、神との交流だったのです。

そして、手を合わせ、神と共におおらかに、朗らかに、笑いの中を倖せに生きてきたわけです。

「八百万の神」。そんなすごい異世界に生きている、それが私達日本人なのです。自然のあらゆるものを神とあがめ、その八百万の神に護られて、倖せな毎日を送らせてもらっている私たちです。

「お天道様が見ている」この祈りを、縄文時代から引き継いできた私たち、日本人の魂です。

私たち日本人はお天道様に恥じない人間にならねばと思うのです。

ひすいこうたろう「今日誰のために生きる」

本日のご来店心よりお待ち致しております。