感謝文
令和6年9月28日
お客様、ありがとうございます。
日本人は自分も自然の一部と感じている。そして、自然=ありのままを一番と考えている。
日本人は、自然に対する態度として、自然と共に生き、自然の恵みに感謝しつつ、いかに自然を生かせるかを常に考えている。
ちなみに、大方の日本人は、努力すること、働くことを自然なことと考えている。だから、働けることを幸せと感じている。生物にとって働くことは当然で、自然なことなのである。
日本人は、働いてこそ充実した人生になるのだと思っている。勤勉は人のお役に立つことであり、おのれを磨き幸せを掴むための徳なのである。
欧米人は、自分は自然とは別の特別なものと考えている。人間は自然より上にあると考えている。だから、自然は対決するもの、そして、征服するものと思っている。したがって、自然のものに、必ず、人の手を加えようとする。(例えば、木肌を愛でるのではなく、ペンキを塗ってしまおうとする。) 場の言語学試論より
日本人にとって、働くは労働ではないのです。
勤勉こそ日本人の財、日本の資源なのです。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和6年9月21日
お客様、ありがとうございます。
どんな人間にでも「我」はあるの。人間の本性なの。その我は気ままやから、知恵で押さえるの。
教育のない者ほど気ままで我が強いの。我ばかり通していたら、平和はないの。強いやつが弱い者を食いよるの。我の強い者は、滋養にならんから、牛もくわないかん、魚も摂らないかんというの。そんなことあらへんの。野菜食うても生きられるの。粗末な生活していても生きていられるの。人間ほど怖いやつはあらへんの。狸でも狐でも昼、姿を見せたら、捕まって皮を剥かれるから皆逃げるの。人間と畜生との間で、向こうが弱いために一生苦しみよる。昔やったら、百姓が米つくって、それを殿様が皆取ってしまいよる。百姓は、稗食ったらいいのと言う。そういう差別の社会が、人間の難儀な世界やの。それは我が働くの。宗教の知恵があったら可哀想やなと我を抑えて、まあまあ堪忍してやれというの。例えば、彼岸になったら信心の家は、彼岸の供養にシジミ一升川へ流してやる。彼岸の中日だけは、魚を殺すのは止めてやれ。宗教を持ちましたら、それだけの同情と慈悲心が湧いてくるそれが知恵やの。
清水寺前貫主 大西良慶和上百七歳 法話より
明日は彼岸の中日。お墓参りしましょう。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和6年9月14日
お客様、ありがとうございます。
先週の続き。明治四十五年、初めて日本にお帰りになられた時、全国から講演を、の招待がありました。博士は「久しぶりに帰って、日本の皆さんからのご招待感激してます。しかし、長らく母親を一人でほっておき、寂しい目をさせております。せめて、日本にいる間だけでも母親の側を離れるのは一時もいやです。もし、母親も連れて行っても差し支えなければ参りましょう」。どの学会でも「結構です。是非ご一緒においで下さい」ということで、磐梯山の麓で百姓をしているお母さんの手を引いて、東京、名古屋、京都、大阪、と講演に回られました。講演の僅かの時間を割いて箕面の講演で紅葉を見ながら、茶店でお昼を召し上がられたとき、博士が「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん」と言うて、もう背中まで撫で回し、箸をとって食べさすような本当の幼児のような純情でお母さんの世話をなさる姿がこの茶店の女将さんの目に焼き付いていたのです。「五十年たってもその姿が目から消えぬ。私が死んでもあの博士さんのお姿が消えんように、銅像を建ててもらいたい」とへそくり何十万円かを出し、学校の子ども達や地域の人々の拠金で、立派な銅像ができたのです。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
令和6年9月7日
お客様、ありがとうございます。
縁もゆかりもない大阪紅葉の里箕面村になぜか、野口英世博士の銅像が建っています。
「おまえのしゅっせはみなたまげておりまする」「わたしはひとりでこころぼそうござりまする。はよかえってくだされ、はよかえってくだされ、はよかえってくだされ、はよかえってくだされ、いっしょのおねがいでござりまする」
「ひがしさむいてはおがみ、にしさむいてはおがみ、きたさむいてはおがんでおりまする、みなみさむいてはおがんでおりまする」
アメリカにいる野口博士に、お母さんが出した手紙の抜粋です。お母さんは、昔の女性がそうであったように勉強の機会はありませんでしたから、すべてひらがなで書かれた文章です。
「はよかえってくだされ」と4回書いております。しまいのほうに、毎朝、おまえが達者で暮らすように、東を向いてはお日様を拝み、西を向いては如来様を拝み、北を向いては氏神様を拝み、南を向いては観音様を拝んでいるというのでしょう。こういう手紙が博士の元に届いて矢も盾もたまらず日本に帰ってこられたのであります。(続)
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令和6年8月31日
お客様、ありがとうございます。
おいしいものを食べると、人は幸せな気持ちになります。おいしいものを食べると人は元気になります。おいしいものを食べると、人は明日へ向かう活力が湧いてきます。
食事を楽しめる生きものは、おそらく人間だけかも知れません。私たちは生きていくために、毎日食事をします。人としての生命活動を維持し、成長するために必要な栄養素を得ているのです。
しかし、食べるという行為の持つ意味は、それだけではないはずです。私たちは、食べることを通して家族や仲間達と喜びを分かち合い、心の豊かさを手に入れているのです。
一口食べるごとに喜びを感じ、ゆっくりと味わいながら会話を楽しみ、つくってくれた人のことを思って感謝する。食事を楽しむことは、人生をより豊かなものにしてくれるのです。
三つ子の魂百までと言います。食事や食卓の団欒から、幼い時に受ける親からの愛情はとても大切なものです。手造りの料理と楽しい家族団欒。たっぷりの愛情を注ぎ、自己肯定感を育ててあげるためにも食卓での家族団欒は最高の場です。
「食べることは生きること」です。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。