感謝文
平成29年7月23日
「」 金子みすゞ
にもいわずにおきましょう。
朝のお庭のすみっこで、
花がほろりと泣いたこと。
もしもがひろがって
のお耳へはいったら、
悪いことでもしたように、
をかえしに行くでしょう。
花からが、ほろりと落ちるのを、小鳥さんか虫さんが見てて「何で泣いたの?」。お花さん、かわいそうと思ったのでしょう。
そんなを聞いて、今朝、を吸いに来たさんが、もしかしたら、私が蜜をもってきたからとして、あわてて蜜を返しに来るかも、と優しいみすずさんは思ったのでしょう。
こまやかで、やわらかな優しさ。たおやかで、清らかなの深さ。みすゞさんの詩をといつも心がきれいになります。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年7月16日
「と」 金子みすゞ
泥の中から
花が咲く。
それをするのは じゃない。
の中から
が出る。
それをするのは じゃない。
それに私は
気がついた。
それも私の せいじゃない。
みすゞさんは、この詩で何を言いたいのでしょうか。浄土真宗の教えは「」です。私達が幸せでいること、にっていること、今、生きていること。人生そのものすべてが仏さまの。そのことにみすずさんは気が付いたと言われるのでしょう。
世の中、自分中心に回っているように、思いがちですが、「」を捨ててこそ、があると言っているのかなと思います。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年7月9日
「私は人のアラばかり気になって・・・なんとかしたいのですが・・・」。
人の欠点ばかり気になる。解決方法は一つ。
自分の欠点を気にしないこと。自分の欠点を見逃すこと。自分の欠点をなかったことにすること。自分の欠点が気になり,それを許していないから,他人の欠点も気になるのです。
自分の欠点を許し認めてあげれば,自然と他人の欠点も気にならなくなります。しかし,自分の欠点を受け入れることはなかなかできないものです。そこで,もう一つの解決方法があります。
一つ「わるいところ」を見つけたら、次はその人のよいところを頑張って一つ見つけます。
二つ「わるいところ」を見つけたら、同じ数の二つ「いいところ」を探します。
こうして欠点だけでなく,よいところを見るように強制的に自分で仕向けていくのです。
続けていくと,だんだん,人の欠点が気にならなくなります。さらによい点は,少しずつ感謝の気持ちが持てるようになります。小林正観
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年7月9日
「鉢の木」という
謡曲(ようきょく)があります。
ある大雪の夜に旅の僧が
上野国(こうずけのくに・今の栃木県)
佐野で貧しい家に一夜の宿を求めます。
主人は「貧乏でおもてなしも
できないので」と一度は断りますが、
僧が雪で苦心しているのを見て、
呼び戻して家に泊めます。
主人は粟飯(あわめし)で
僧をもてなしますが、
夜更けには囲炉裏(いろり)に
くべる薪すらなくなってしまいました。
これでは申し訳ないと、
大切にしていた三鉢の盆栽の
鉢の木を切って囲炉裏にくべるのです。
それに心打たれた僧が
主人の素性を尋ねると、
元鎌倉の御家人で
佐野源左衛門常世(つねよ)
という人でした。
常世は、
「今はこのように
落ちぶれていますが、
もし幕府に大事があれば、
ちぎれた具足(ぐそく)に
錆びた薙刀を持ち、
くたびれた馬に乗って
一番に馳せ参じ、
一命をなげうつ覚悟です」
と僧に語りました。
春になって幕府に一大事が起こり、
各地の武士に動員令が下りました。
関東一円の武士が我先にと
駆けつける中に
常世の姿もありました。
みすぼらしい格好の常世を
周りの人たちは笑いましたが、
その常世の前に
あの旅の僧が現れました。
実はこの僧は鎌倉幕府の
第五代執権北条時頼で、
民情視察のために
托鉢をしながら
全国を回っていたのです。
時頼は常世が約束通りに
駆けつけてくれたことを
褒め称え、志に報いるために
三鉢の盆栽にちなんで
三つの荘園を与えました。
常世は喜んで故郷に
錦を飾りました。
これが「いざ鎌倉」という
言葉のもとになった話です。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年7月2日
お客さま、ありがとうございます。
第2次大戦はありましたけど、アジアの国々はほとんどです。は中国と韓国、北朝鮮しかありません。
台湾や、日本のだったパラオに行くと、本当の日本の姿を見ることができます。 おちゃん、おちゃんが当たり前のように日本語を使う姿。私がパラオに行った時も、あるお婆ちゃんが話の途中で立ち上がって『君が代』や『海行かば』を歌い始めるんです。これにはビックリしたのですが、そういう姿を見ると、パラオに住む人たちがいかに日本を愛してくれているかがよく分かります。しかも、その人たちが口にするのは日本の素晴らしさやといった日本人が忘れていたことばかりなのですから。パプアニューギニアのラバウルに行って、農業支援機関であるオイスカの施設を訪れた時もそうでしたね。若い人たちが手製の楽器を打ち鳴らしながら『ラバウル小唄』を歌ってくれたんです。「さらばラバウルよ、また来るまでは。しばし別れの涙がにじむ……」と。感動して涙が止まりませんでした。池間 哲郎
本日のご来店心よりお待ち致しております。