感謝文
平成30年3月11日
七年前の三月十一日。東日本大震災。こんな話もありました。佐藤さんはその時、港のすぐ傍にある会社で業務に当たっていました。佐藤水産は、全国に出荷を続ける生ウニの老舗です。 近年では中国の大連から研修生を二十人受け入れてました。午後二時四十六分、突然の激しいがました。驚いた研修生たちはすぐに寄宿舎のの小高い場所にしました。
佐藤さんはながら寄り添う研修生の姿を発見するや「もうすぐ津波が来る。早く避難しなさい」と大声で伝え、高台にある神社まで連れて行きました。そして、残っている従業員や研修生はいないかと、自らの危険をことなく再び会社に戻ったのです。
佐藤さんは屋上に逃げたものの、高台にいる研修生の前でついにごと津波にまれ、亡くなりました。「あの時、もし佐藤専務に助けられなかったら、私たちは全員津波のになっていた」研修生たちがそう涙ながらに語る姿を、中国のテレビや新聞はに報じました。 このの行為が大きな感動を呼びました。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年3月4日
平昌オリンピック、スピードスケート女子500メートルで小平奈緒が、金メダルを確信してスタンドに向かって、を口に当てるポーズで「に」と無言で呼び掛けていた。直後のレースで最大のライバル、(韓国)へのさりげないであった。
そして競技終了後、涙を流すに駆け寄ってし、韓国語で「よく頑張った」と、同じチームの選手が金銀をしたかのように互いを、ともに場内のにた。
二人が並んだ記者会見。小平が「サンファはいつも親切なんです。3年前にソウルのW杯で私が優勝したとき、すぐオランダに戻らなきゃ行けなかったんですけど、リンクから空港までのタクシーを呼んでくれて、お金も出してくれた。結果ははずなのに、に奈緒のためにという思いでそれがすごく嬉しかった」
李もまた「アスタナでバスを待っていたときに、奈緒は『次の五輪はあなたが勝って私が二位ね』と。私も、あなたが勝って私が二位でいいと言い合いました」としそうに話した。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年2月25日
この花は、ふもとのむらの にんげんが、やさしいことを ひとつすると ひとつ さく。
あや、おまえのあしもとにさいている赤い花、
それは おまえが きのう さかせた 花だ。
きのう、いもうとの そよが、「おらサも みんなのように 祭りの 赤いべべ かってけれ」って、あしをドデバダしてないて おっかあを こまらせたとき、おまえは いったべ、
「おっかあ、おらはいらねぇから そよサ かってやれ」そういったとき その花がさいた。おっかあは、どんなに たすかったか!そよは、どんなによろこんだか!おまえはせつなかったべ。だども、この赤い花がさいた。この赤い花は、どんな祭り着の花もようよりも、きれいだべ。ここの花は みんなこうしてさく。この 花さき山 いちめんの花は、みんなこうして さいたんだ。つらいのをしんぼうして、じぶんのことより ひとのことを おもってなみだを いっぱいためて しんぼうすると、その やさしさと、けなげさが、こうして 花になって、さきだすのだ。『花さき山』より 三日はお雛様。 本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年2月18日
みぎほとけ ひだりわれぞと あわすの
中にゆかしき の
「善悪、二つの心が入り交じっている私達が、右手と左手を合わせて、“南無”(心から仏さまの教えを信じ、従います)と唱えるところに、仏さまと私たちが一つになった世界があるのだ」という古歌です。
5本の指の間をくっつけ、左右のをピッタリと合わせ、胸の前で合わせます。
合掌は、インドで古くから行われていた礼法です。右手は清浄な手とされ、良いものや美しい行いを、左手はの手とされ、悪いものや行いを表します。そこから、右手は仏さまを、左手は私たちを示すようになりました。ですから、合掌は、仏さまと自分が一体になったことを表すのです。
本当に素直になれたとき、人は自然に合掌します。インドやネパールでは挨拶するとき合掌します。田舎では、道などで出会うとわれわれ観光でいっている人間にも「ナマステ」、あなたを尊敬しますと合掌して挨拶してくれます。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年2月11日
今日は建国記念の日。神武天皇即位の日です。
。後の神武天皇は九州日向国で生まれた。生まれながらにしてで強い意志を持っていたミコトは十五歳で皇太子となり、四十五歳で兄たちを連れへ向かったその後を平定し紀元前六百六十年二月十一日に、初代神武天皇となった。これが建国記念の日になっている。当時五十二歳であった。
ニニギノミコトが高千穂にして約百八十万年余り。未だ全土をしていなかった。
そこで日向から大分宇佐に着き、福岡県の岡田宮に一年止まり、広島、兵庫、大阪へと向かう。 途中、いろんな敵や災難にうが、の力も借りて、で即位する。
即位から二六七六年、我が国日本は世界一長く続く国である。神武天皇は、即位した際『天下を一家と考え、自分が正しいことを行ってその心を広めたい』と述べられている。
百二十五代天皇に至るまで、このを守り続けた。これこそが世界一長く続いた国のとなっている。 日本大百科全書
本日のご来店心よりお待ち致しております。