MaruichiMaruichi

Life 感謝文

平成31年4月14日

「先生!ボク一人で弁当を作れるようになりました。買い出し、調理、弁当箱詰め、片付け、全部自分一人でしたんです」

 「そんで、気がついたことがあります。ぼくお米も野菜も作っていません。作ってくれた農家の人がいるんです。このサケとってくれた漁師さんがいるんです。漁師さんが乗った船を作った人がいるんです。サケを運んだトラックの運転手がいるんです。そのトラックを作った人。そのトラックが走った道や橋を作った人がいるんです。フライパンや鍋を使いました。ガスや電気も使いました。鍋やフライパンを作った人、ガスや電気を運んでくれた人がいるんです」

 「その沢山の人達の誰一人、ぼくは知りません。名前も顔も。でもその人達のおかげで、ぼくはたった一人で、台所で弁当を作ることができたんです」「この弁当箱の向こう側に沢山の人達が働いてくれてるんです。その人達に感謝したいんです」。弁当の日があることによって。子供は沢山の感謝を学び取ることができました。あなたの学校で弁当の日を!竹下和男

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平成31年4月7日

二七歳の時、志を立て妻の実家(農業)に入りました。しかしいくら頑張ってもません。ついにになって五年、もう限界と思った平成一七年、四歳の息子が突然死したのです。泣いて泣いてとして一ヶ月半、はっと思ったのです。自分はこれまで野菜を育てるために虫や雑草、微生物を大量に殺してなんとも思わなかった。けれどというたった一人の命を失ってここまで打ちのめされている、さ、何かがおかしい、間違っていると。

 それからです。命を農薬や化学肥料を使えなくなったんです。そうしたら畑は草、虫はブンブン、レタスは九割が病気にかかってダメになりました。でもそんな畑でなレタスを見つけたのです。私はでにつくばってしていたら息子の声で「これが生命力だよ。自然がくれる生命力だよ」と。その時生命力に満ちた野菜で人々の命を守るのが私たちの責任と思ったんです。ランド村上貴仁

 今日は財光寺店頭で、自然と共生する農業で作った生命力のある健康野菜を売ってます。

 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成31年3月31日

21日引退会見で。「弓子夫人への思いは?」

 いやあ、頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで結局3089本のヒットを打ったわけですけど、ゲーム前にホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻がってくれたおにぎりを球場に持って行って食べるんですけど、それの数が2800ぐらいだったんですよね。3000いきたかったみたいですね。そこは3000個握らせてあげたかったなと思います。

 とにかく頑張ってくれました。妻にはゆっくりしてほしいと思います。

 それと一弓ですね。我が家の愛犬ですね。現在17歳と7カ月かな。さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラなんですけど、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、それは俺がんばらなきゃなと。まさか僕が現役を終える時まで一緒に過ごせるとは思っていなかったので、大変感慨深いですよね。ほんと、妻と一弓には感謝の思いしかないですね。」

 平成の星がまた、一つ。寂しくなりました。

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平成31年3月24日

経営の神様松下幸之助氏に初めてお目にかかった時に、「経営者の条件とは何ですか」って聞いたら、真っ先に「運が強いことや」と。「運を強くするにはどうしたらいいですか」と聞いたら、「徳を積むことしかない」と。

 また、徳については「徳というのはAさんに掛けて、Aさんから返ってきたことは一回もない。どこから返ってくるか分からないから、会う人それぞれに徳を掛けなきゃいけない」と。

 「徳」とは、自己の最善を他者に尽くし切ることです。

 『論語』に「徳はならず、必ず有り」とあります、やっぱり人間は一人では生きていけない。他者の応援が必要です。それには徳を掛けることが不可欠なんです。ありがとうと感謝され、自分が困っている時に、見返りなく手を差し伸べてくれる。そういう感謝の人間関係で結ばれた人との縁が運を運んでくれるのです。 田口佳史

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平成31年3月17日

お父さんが一年前に交通事故で亡くなり、南三陸町で、母子二人寄り添って暮らしてました。
 三月一一日、一〇歳の息子は風邪をひいて家で休んでいました。そこに激しい地震が訪れ、が来るという報せで、することになったのです。ののままで外に出ようとした時、お母さんはふと思い立ちました。
「お母さんは大事なものを取ってくるので、ここにいてね」病気の息子のために、2階から防寒具を取ってこようとしたのです。すると、「僕が大事なもの、持ってきたよ」子供が見せたものは、から持ち出した父親のでした。
「そう、お父さんは一緒なんだ。じゃあすぐるから待っててね」そう言い残してお母さんが2階に駆け上がるやや、津波が1階をのみ込んだのです。あっと思う間もなく息子の姿は消えました。涙ながらにお母さんは「あの子にとって、最も大事なのはお父さんでした。息子は先にお父さんのもとに行きましたが、あの子は、家族がいかに大事かということを身をもって私に教えてくれました」と。明日から春彼岸。

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