感謝文
令和4年6月11日
お客様、ありがとうございます。
ドイツの哲学者カントは、馬の蹄鉄屋の子に生まれた。生まれつきのくる病であった。背中に瘤があり、喘息で、いつも苦しげに喘いでいた。
ある時、町に医師がきた。父はカントを診せに行った。「気の毒だな。しかし気の毒だと思うのは、体を見ただけのことだよ。考えてごらん。体はなるほど気の毒だ。だが心はどうもないだろう。この苦しい辛いと言えば、おっかさんだっておとっつあんだってやはり苦しい、辛いわね。いえば言うほど、みんなが余計苦しくなるだろ。苦しい辛いと言うそ
の口で、心の丈夫なことを喜びと感謝に考えればいい。体はともかく、丈夫な心のお陰であなたは死なずに生きているじゃないか。それを喜びと感謝に変えていったらどうだね。私の言ったことが分かったろ。
それが分からなければ、あなたの不幸だ。」カントは医師に言われた言葉を考えた。心と体とどっちが本当の自分なのかを考えてみよう。それが分かっただけでも、世の中のために少しはいいことになりはしないかと。 大哲学者の誕生秘話(宇野千代著より)
本日のご来店心よりお待ち致しております。
令和4年6月4日
お客様、ありがとうございます。
「暑くなりましたね。今日は最高気温三〇度の予報でした。いよいよ夏ですね」
「そういえば、今年の春、蝶々見ましたか?」 群れになって舞う蝶々や、トンボなど見る機会が減りました。「鬼ヤンマなんて一〇年くらい見てませんよ」昔、当たり前であった自然が、いつの間にか消えつつあるのに気がついておられるでしょうか。
「雀も減ったそうですね」「そうなんです。燕も減りました」「昔は夕方になると白鷺が山の中腹に群れで休んでいましたよね」。
今の子供達は、もうトンボや蝶々、ホタルやカエルがたくさんいたことを知りません。そして、大人たちもそのことを不思議にも思っていないのです。
私達は、もっと素朴な疑問を持つべきです。
「畑や田んぼには、なぜ、草は生えないの?」
「去年はなぜセミが少なかったのでしょうか」
「きゃべつ畑に、なぜ蝶々が一匹もいないの」
自然が壊れかけてます。ちょっと立ち止まって、身の回りの自然に、疑問を感じてください。
「SDGs」持続可能な地球は、私達が、素朴な疑問に、答えを見つけることから始まります。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
令和4年5月28日
お客様、ありがとうございます。
「あんな人、顔も見たくない」と思うような人に出会った時には、心を込めて「有り難うございます」と、心の中で言ってみる。すると人間関係が良くなっていくものです。相手に向かって直接言うのは難しいとしても、神様に向かって、あるいはその人との出会いに何か意味を感じ取って「有り難うございます」と言うことはできます。
それを続けて行くと、本当に状況は変わっていくのです。多くの人は、心で思ったことが言葉として現れてくると思っていますが、逆も真実であり、語った言葉が心を変えていくこともあるのです。それが「身心一如」(心と体は同じ)の理と呼ばれるものです。
「あの人は嫌いだ」と思っていても、その相手を心に思い浮かべ、ただ「有り難うございます」という言葉を唱えるだけで、不思議なほど、自分の心が変わり始め、それを続けていくと、徐々にその人間関係が良き方向に変わっていくのです。
多摩大学大学院名誉教授 田坂塾塾長 田坂広志
言葉は魔法。声にだした言葉は心も変える事ができるということです。良い言葉を使いましょう。
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令和4年5月21日
お客様、ありがとうございます。
私が小さい頃、中央の政界や官界で出世した人が帰省してくる。すると、近所のおじさんが「小学校の頃、俺は級長であいつは頭がよくなくて、俺によく泣かされたやつだ」とか言うんです。
確かに、そのおじさんは弁も立つし、近所でも有名なんですが、どうしてもそのおじさんと、いま帰ってきている人とを比べてみると、雲泥の差で向こうが偉いと思うのに、おじさんに言わせれば、あいつは大したことなかった、と言う。
それで、おじさんは大変威張って、そういうことを吹聴しているけど、子供心に、どうも向こうのほうが偉い。いや、なぜそうなったんだろう。おじさんは小学校の頃から今も、能力があったのを鼻にひっかけて努力をしなかった。あの人はそれほどできがよくなかったから級長はできなかったかもしれないけれども、以後一所懸命に努力をしたから、その差が何十年も経ち、人生の後半になった時に大変な差になったと考えたのです。そのことにふっと気がついて、考え方が一番大事だと。そこで、人生の結果=能力×熱意×考え方という方程式をつくったのです。 京セラ会長稲盛和夫
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令和4年5月14日
お客様、ありがとうございます。
お姉さんはとても綺麗で、幸せそうでした。
でも、妹の姿を見て、何かひそひそお話をする方もおられました。そんなときにお色直しから扉を開けて出てこられたお姉さんは、驚いたことに、妹が縫ったあの浴衣
を着ていたのです。
一生に一度の披露宴に、妹が縫った浴衣を着てくれたのです。お姉さんは旦那さんとマイクの前に立ち、私と妹をそばに呼んで「この浴衣は私の妹が縫ってくれました。
私の妹は小さいときに高い熱が出て手足が不自由です。でもこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。妹は病気になって、家族から離れて生活しなければなりません
でした。その妹が不自由な手に血豆をいっぱい作りながら練習し、一所懸命にほとんど一人で縫ってくれたのです。私のことを恨んでるんじゃないかと思ったこともあり
ました。でもそうじゃなくて、私のためにこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。
私はこれから妹のことを、大切に誇りに思って生きていこうと思います。」会場から大きな拍手。妹もとてもうれしそうでした。そしていま和裁を学んでいます。
山元加津子(養護学校教諭)
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