感謝文
平成29年7月2日
お客さま、ありがとうございます。
第2次大戦はありましたけど、アジアの国々はほとんどです。は中国と韓国、北朝鮮しかありません。
台湾や、日本のだったパラオに行くと、本当の日本の姿を見ることができます。 おちゃん、おちゃんが当たり前のように日本語を使う姿。私がパラオに行った時も、あるお婆ちゃんが話の途中で立ち上がって『君が代』や『海行かば』を歌い始めるんです。これにはビックリしたのですが、そういう姿を見ると、パラオに住む人たちがいかに日本を愛してくれているかがよく分かります。しかも、その人たちが口にするのは日本の素晴らしさやといった日本人が忘れていたことばかりなのですから。パプアニューギニアのラバウルに行って、農業支援機関であるオイスカの施設を訪れた時もそうでしたね。若い人たちが手製の楽器を打ち鳴らしながら『ラバウル小唄』を歌ってくれたんです。「さらばラバウルよ、また来るまでは。しばし別れの涙がにじむ……」と。感動して涙が止まりませんでした。池間 哲郎
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年6月25日
医者から紹介された女性はがんをいて治る見込みがありません。それにまだ二十代、自分のに閉じこもっていたんです。
彼女とは一回50分間のカウンセリングでしたが、ほとんど何もお話しされません。翌日、「あの患者さんはものすごく変わりました。とても前向きになりました」と、医者から電話。
何もお話しできなかったのに、何で変われたのか不思議でしたが、一年後彼女と会え、聞いてみました。「あの時、何が起こったのですか」と。「先生はあの時、そうか、あんたはそんなにをえて、いままで一人で生きてきたんやな、と言われました」と。「これまで誰にも分かってもらえなかったことを、他人の先生が、一人苦しみを抱えて生きてきた私を分かってくださった。くれる人もいると知って、それで安心したのです」と。臨床心理士皆藤章氏談金子みすゞさんの詩「さびしいとき」に、「私がさびしいときに、仏さまはさびしいの」という一節があります。「共感する」と言うことがいかに大切なことかと再認識しました。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年6月18日
「父親が輝いてこそ、子が輝く」東井義雄
ちゃんは、大学の入試に失敗。ショックで、食べ物もを通らず、自殺まで考えました。
こうなるとお父さんのです。「恵、おいで」お父さんの前にしました。
そんな恵ちゃんに対して、お父さんは「恵、おめでとう!」。思いがけない言葉に、思わず顔を上げたとき「恵、おめでとう。いくらお金を積んでもいくらんでも得られない勉強をさせたいただいたね。お父さんはね、失敗した時、これはきっとさまがお父さんの一番のを教えて下さっているのだと信じて、失敗を大切にしてきた。そしてきた。このたびの失敗、どうか、大切にするんだよ。それとに・・」とをられました。「それと一緒に、自分がのに立ったとき、どこかに泣いている人があると言うことの考えられる人間になっておくれ」。感激で、失敗のショックなんか吹っ飛んでしまいました。お母さんが、心からお父さんをされているわけがハッキリわかったといいます。本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年6月11日
あなたは「あげる」、それとも「いただく」族。「手伝ってあげた」「働いてあげてる」「待ってあげる」と言うのが、「あげる族」。
「手伝わせていただいた」「働かせていただいてる」。「待たせていただく」が「いただく族」。「あげる族」は、いつも「○○してあげる」「○してあげている」と「あげる」が語尾につき「」まで「あげてばかり」それで運気は下がる一方。
逆に「いただく族」は、「○○させていただく」「○○させていただいている」といつも語尾に「いただく(もらう)」がつき、「運」もいただいてばかり。あげる族は、「○○してあげてる」のあとに「のに」がつく。「手伝ってあげてるのに」。「のに」がつくと愚痴が出る。
いただく族は、「○○させていただく」の後に「ありがとう」の言葉が出る。グチを言う人から運が逃げ、「ありがとう」を言うひとには運がつく。語尾を変えるだけで「運」はついてくる。今日から語尾に「させていただく(させてもらう)」をつけて、運の良い人生にしよう。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年6月4日
金次郎は十二の時から父にかはって川に出ました。しごとをすまして、家へかへると夜おそくまでおきててをつくりました。さうしてあくる朝そのわらぢをしごとばへもって行って、「私はまだ一人前のしごとが出来ませんので、皆さまのおせわになります。これはそのおです。」といって人々におくりました。父がなくなってからは、朝は早くから山へ行き、をかり、をとって、それをうりました。又夜はをなったり、わらぢをつくったりしてよくはたらきました。(しごとにはげめ金次郎は十六の時母をうしなひました。やがてふたりのおとうとは母の里にひきとられ、金次郎はまんべゑといふの家へ行って、世話になりました。金次郎はよくのいひつけをまもり、一にちはたらいて、夜になると本をよみ、字をならひ、のけいこをしました。をじはがいるのをきらってをましたので、金次郎はであぶらなをつくり、その種を町へ持って行って油に取りかへ、毎晩しました。(がくもん)尋常小学修身書児童用巻三より 本日のご来店心よりお待ち致しております。