感謝文
平成30年9月23日
「秋彼岸」とは秋分の日を中日とする前後七日間のこと。お寺のに参加したりお参りに行ったりして先祖やをします。
お彼岸の期間は、へ生まれ変わりたいと願い、、、、、、という正しい六つの行いをする時とされています。お盆が先祖のがこの世に戻ってくるのに対し、お彼岸はこの世からへ近づくためにをする期間です。
春分の日と秋分の日は、太陽がから昇り、に沈みます。真西にはの極楽浄土があるとされ、太陽がに向かうと考えられたことから、お彼岸になったという説が一般的です。
「国民の祝日法」ではその目的について、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」と定められています。
お彼岸に仏教的な行事を行うのは、世界中でも日本だけのです。日本の良き風習、文化を子供にも伝えてゆきたいと思います。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年9月16日
五十や六十、花ならつぼみ
七十、八十は、花盛り
九十になって迎えが来たら
百まで待てと追い返せ
五十や六十、はな垂れ小僧
七十、八十は、働き盛り
男ざかりは、百から、百から
大西良慶
京都元大西良慶は一〇八歳、昭和五八年の二月二五日の朝四時、お釈迦様と同じ日時に、亡くなられました。
「長寿の秘訣は」と訊かれると、「よく食べる」「よく働く」「よく寝る」の三つだと。
よく食べるということは、「いただきます」「ごちそうさま」と感謝し美味しく食べる。
よく働くとは、身に応じただけの体を使うこと。よく寝るには、おおきに阿弥陀さん、観音さんと言って仏さんと一緒に寝るこっちゃと。
明日は敬老の日。せめて百までお元気で。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年9月9日
「梨の芯」 金子みすゞ
梨のは捨てるもの、だから
芯まで食べる子、けちんぼよ。
梨の芯は捨てるもの、だけど
そこらへほうる子、ずるい子よ。
梨の芯は捨てるもの、だから
へ入れる子、およ。
そこらへすてた梨の芯、
がやんやら、ひいてゆく。
「ずるい子ちゃん、ありがとよ」
へ入れた梨の芯、
ごみ取りさん、取りに来て、
だまってごろごろ引いてゆく。
私達にとって良いことが、必ずしも地球上の他の兄弟たちにとっても、良いことだとは限りません。いえ、迷惑のほうが多いのでしょう。地球を傷つけ、汚しているのは私達人間。
地球の立場で考える時が来ているのかなと思います。ごみ問題、生活習慣、農漁業、商工業。原発や平和。自然と地球をもっと大事にしたい。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年9月2日
足の悪いおじいちゃんが「なんとかの手前のホロ町で、おろしてもらえんか」としています。「特急バスと知らずに乗ってしもうた。ホロ町に皆が集まっていて時間までに行かないと皆が困る。なんとか止めてもらえませんか」。ガイド嬢はすまなさそうに「ごめんなさい。他のお客様から「あそこでめて」「私はここでろしして」というごがあった時にお断りすることができなくなってしまいます。本当にすみません」。「この足では歩けんし、ホロ町の手前で降ろされたんじゃ時間に間に合わんし…」。その時運転手さんと話していたガイド嬢が「お客様に申し上げます。当バスはこれよりに差し掛かりますので、ブレーキテストを行います」バスは静かに停車しました。「ドアチェック!」ドアがスーッと開きました。するとガイド嬢はおじいちゃんに目でをします。おじいちゃんはハッと気がついて運転手さんとガイド嬢に手を合わせ、何度も何度も頭を下げて降りると、車内は拍手と温かな笑顔で一杯になりました。「ちょっといい話」
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年8月26日
弁当の日」の竹下和男先生の話。
「人生の最後に食べたいものは?」のアンケートに30歳代の男性が「お母さんの手作り弁当」と答えました。「私は母子家庭で育ちました。私は一度も母親が作ってくれた弁当を食べた事がありません。食卓には毎朝弁当代が置いてあり、そのお金で弁当やパンを買って食べてきたのです。母はすでに。だからこれは決して食べることができない弁当なのです」。
その男性は「母さん、って、手料理をつくって食べさせたいと思わない存在だったのか。もしそうなら、俺を生んだことをしながら死んだのか」というなを、日々繰り返して生きて来たといいます。
親は、お金を渡して、子供に好きなものを食べさせていれば責任を果たしていると思いがちですが、子供はではなく心(母の愛情)が満たされていないと、訴えているのです。
このは「心をこめた料理」で満たしてやらないといけないのです。の味こそ、手料理こそ、母の愛情のなのです。
本日のご来店心よりお待ち致しております。


