感謝文
平成29年12月17日
「・・・」、の言葉です。
“”とは勤勉にを出して働くことであり、をラクにすることです。そして経済の基本である。“”は倹約である。ムダをいてすること。“”とは、自分の収入にバランスをとった暮らしをする。・を捨てれば自分の生活を豊かにできるものです。
“”には、“”と“”とがある。“自譲”とは、今日の豊かさを明日につなげること。“他譲”とは自分の周りの他人にこと。自分が取る分を、他人にすることで、信頼も生まれ、協力者も増えるのである。
わが国は、のうえに、、そのうえ、1億2千万人という人口をている。それゆえ、結局、二宮尊徳翁のいうように、「勤」頭を使ってよく働き、そして「倹」できるだけ節約し、「譲」余ったものは、これを他に譲るという、勤・倹・譲の人生三大原則が日本民族の、永遠の真理なのです。(森信三 魂の言葉より)
「働き改革」と、政府はいます。何かような気がするのは私だけでしょうか。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年12月10日
日向市が、昨年より始められた「社員が輝く!先進企業」に認定され、十屋市長より「理念や取り組みが他の模範となり市内企業の労働条件の向上が図られることを期待します」というお言葉をいただきました。有り難うございました。
私たちマルイチの目標は三つ。
「社員にとって良い会社になること」
「お客さまにとって良い店になること」
「社会にとって良い人間になること」です。
社員が幸せに、お客さまにより良いサービスを、社員一人一人が地域社会に役立てる人間に。
まだまだ目標達成には、道遠き感がありますが、これからも一日一日を大切に、地道に頑張って参るつもりです。よろしく、ご指導ご支援の程お願い申し上げます。
日向市の地元企業の多くが、この「社員が輝く!先進企業」の認定を受けられ、子供たちが地元で就職し、幸せな人生をおくれるような日向市になることを、私たちマルイチも微力ながら、お手伝いできるよう頑張って参ります。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年12月3日
つい先日、僕ら夫婦が親しくしていた奥さんが入院したと言うので、見舞いに出かけた。
駅裏の道の両脇には一般の住宅街で、妻が何度も立ち止まって首をかしげる。「この道じゃなかったみたい」と言って立ち止まる。
周りを見回しながらうろうろしている僕らの横を、セーラ服の女子中学生が通り過ぎて行く。
大きなを背負っていて、家へ帰るところのようだ。その女生徒が一〇㍍ほど行ったところで立ち止まり、ゆっくり僕らの方に戻ってきた。近づいてきた彼女が顔に笑みをたたえ、僕らに「何かお困りでしょうか」と言ったのだ。
ぼくは息をんだ。一度通り過ぎたのに又戻ってきて、七〇過ぎの見知らぬ老夫婦に「何かお困りでしょうか」と、声を掛けてくれたのだ。この言葉は、本当に久しく耳にしたことがなく、ぼく自身も使ったことが無かったからだ。感動で胸が震えた。彼女は僕らを、駅の反対側の住宅街にある病院が見える所まで案内してくれた。妻と僕は帰って行く彼女の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。「唇に歌を、心に太陽を」小檜山博本日のご来店心よりお待ち致しております
平成29年11月26日
約一五〇億年前、ビッグバンによって誕生した宇宙は、いまもし続け前進し続けている。ならば、人間もまた常に前進し続ける使命を宇宙より課されているように思われる。
多くのが命ある限り前進し続けた生涯を、我われに残してくれている。
真珠王といわれた御木本幸吉もその一人である。九五歳の時に、こんな言葉を残している。
「わしは一〇〇まで生きる。あと五年だ。これからの五年は二十歳から始めて過去七五年間学んだ業績と同じ分量の仕事がやれる」
経団連会長を務めた土光敏夫さん。『大学』のこの一節を愛し、好んでした。「に日に新たに 日々に新たに 又日に新たなり」
坂村真民さん。亡くなられて5年が経つ。「つねに前進」と題する詩がある。
すべて とどまると くさる。 このおそろしさを 知ろう。 つねに前進 つねに一歩。
は左足を出し は右足を出している
あの姿を してゆこう。
今年も後1ヶ月、来年がある。前進あるのみ。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年11月26日
特に思い出に残っているのは、ひばりさんにとって最後の曲になってしまった「みだれ髪」です。作曲当時、彼女は大病を患って福岡の病院に入院中でした。私もそれまでに曲近くを
提供してきたけど、今度ばかりは体調のこともあるし、いままでのものよりも少し簡単な歌をつくろうと思っていたんですよ。
ところが作曲の途中で何度かひばりさんとやり取りをする中で、返ってくるのは「それでは嫌です。ひばりはまだまだ歌いますから」の一点張り。
普通、病気をした人間であれば、楽譜を見て
「かえっていろいろと考えていただき、ありがとうございます」とお礼を言ってもらえるところが、ひばりさんは全くそうではなかった。
ひばりさんが退院してすぐにその曲を歌わせてみたところ、これがまた見事でした。ああいう人は「禍転じて福となす」という言葉どおりのことができてしまうんですよ。
入院中に声そのものを休ませているから、前よりかいくらか若くなっているような感じがしました。
そもそも九死に一生を得るような大病をした人とは全く感じられませんでしたね。
いまでもいいアイデアがパッと思いつくと、
「どうしても、ひばりでいきたいな」と思う。
ところが次の瞬間には「あぁ、もういないのだな、彼女は」と。その時の喪失感というのは大きいですよ。怖いものですね、現実というのは。
船村徹 ヒバリさんを偲んで
早い話が、手抜きをしないでくださいということなんですよ。
そういうのがやはり、地球外生物なんじゃないかと思うのですよ(笑)。普通だったらとても考えられませんから。
本日のご来店心よりお待ち致しております。