MaruichiMaruichi

Life 感謝文

平成29年11月26日

約一五〇億年前、ビッグバンによって誕生した宇宙は、いまもし続け前進し続けている。ならば、人間もまた常に前進し続ける使命を宇宙より課されているように思われる。

 多くのが命ある限り前進し続けた生涯を、我われに残してくれている。

 真珠王といわれた御木本幸吉もその一人である。九五歳の時に、こんな言葉を残している。

「わしは一〇〇まで生きる。あと五年だ。これからの五年は二十歳から始めて過去七五年間学んだ業績と同じ分量の仕事がやれる」

 経団連会長を務めた土光敏夫さん。『大学』のこの一節を愛し、好んでした。「に日に新たに 日々に新たに 又日に新たなり」

 坂村真民さん。亡くなられて5年が経つ。「つねに前進」と題する詩がある。

 すべて とどまると くさる。 このおそろしさを 知ろう。 つねに前進 つねに一歩。

 は左足を出し は右足を出している

 あの姿を してゆこう。 

 今年も後1ヶ月、来年がある。前進あるのみ。

 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成29年11月26日

 特に思い出に残っているのは、ひばりさんにとって最後の曲になってしまった「みだれ髪」です。作曲当時、彼女は大病を患って福岡の病院に入院中でした。私もそれまでに曲近くを

提供してきたけど、今度ばかりは体調のこともあるし、いままでのものよりも少し簡単な歌をつくろうと思っていたんですよ。

ところが作曲の途中で何度かひばりさんとやり取りをする中で、返ってくるのは「それでは嫌です。ひばりはまだまだ歌いますから」の一点張り。

普通、病気をした人間であれば、楽譜を見て

「かえっていろいろと考えていただき、ありがとうございます」とお礼を言ってもらえるところが、ひばりさんは全くそうではなかった。

 ひばりさんが退院してすぐにその曲を歌わせてみたところ、これがまた見事でした。ああいう人は「禍転じて福となす」という言葉どおりのことができてしまうんですよ。

 入院中に声そのものを休ませているから、前よりかいくらか若くなっているような感じがしました。

そもそも九死に一生を得るような大病をした人とは全く感じられませんでしたね。

 いまでもいいアイデアがパッと思いつくと、

「どうしても、ひばりでいきたいな」と思う。

ところが次の瞬間には「あぁ、もういないのだな、彼女は」と。その時の喪失感というのは大きいですよ。怖いものですね、現実というのは。

               船村徹 ヒバリさんを偲んで

早い話が、手抜きをしないでくださいということなんですよ。

そういうのがやはり、地球外生物なんじゃないかと思うのですよ(笑)。普通だったらとても考えられませんから。

 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成29年11月19日

「夫婦のを乗り越えて」 野上教子

 あのとき、私がウソをついているのを

 知っていたはずなのに、

 「が悪かった.許してくれ」と

 言ったあなた。

 ごめんなさい。

 そして、心からありがとう。

                      (世界一短い感謝状より)

 一燈園の西田天香先生の言葉を紹介します。

 ひとつの感謝は ひとつの幸せです

 毎日、毎日 ものを増やして下さい

 の欠点にも 手を合わせられますように

 な心に させて下さい

 ひとつの感謝は ひとつの幸せです

 毎日、毎日 ものを増やして下さい

 の欠点にも 手を合わせられますように

 な心に させて下さい

 明後日二二日は「いい夫婦の日」。

 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成29年11月12日

「の書を読むに、あらざるよりは、いずくんぞ、の人たるをえん。」

 (多くの本を読み、勉強しなければ、どうして名を残すような立派な人間になることができようか、しっかり勉強しなさい。)

 このの言葉を、松陰の、山口県の小学校では、二年生の一学期に毎朝、皆で声高らかにしています。

 二学期には、この言葉の続き「のをんずるにあらざるよりは、いずくんぞの安きをいたすをえん。」を毎朝朗唱します。

 (のこともをしまず働くようでなければ、どうして多くの人のためにくすようなな人間になれようか。」

 このように毎学期ひとつの言葉を明倫小学校では、六年間。一八の言葉を朗唱させています。

 小学生では、なかなか理解できない言葉ですが、大人になっていつの日か、生きてくるのです。「学歴はなくても立派な人は多いけど、を読まなくて、立派な人はいない。」森信三。

 読書の秋、本を読む習慣を身につけましょう。

 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成29年11月5日

今、日本中の多くのお父さんお母さんは、子どもがんで「痛い」といっても、「痛くない」と言い、こだまさなくなったのです。もちろん、お父さん、お母さんは痛くないでしょう。でもこのお父さんなら、お母さんなら愛してくれると思って生まれてきた子どもたちです。そのお父さんや、お母さんに「痛くない」といわれた子どもの「痛さ」は、いったいどこへ行くのでしょう。のつもりで言った「痛くない」ですが、励ましも、も先ずこだまをしないと、力を発揮しないのです。こだまとは現状を丸ごと受け入れることなのにそれを忘れているのです。転んで「痛い」と言ったとき、昔の両親や、おじいさんおばあさんは「痛いね、痛いね、かわいそうだねえ」と丸ごと受け入れてくれました。それでも「痛い」「痛い」と泣いていると「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んで行け」と呪文で痛いのを飛ばしてくれました。悲しくて泣いているときも同じです。泣いているときは一緒に泣いてあげて欲しいのです。みすゞさんの「こだまでしょうか」を読んで。矢崎節夫本日のご来店心よりお待ち致しております。