感謝文
令和7年9月6日
お客様、ありがとうございます。
最近「超加工食品」という言葉を目にすること多く、気になっている方も増えておられます。
「超加工食品」とは、複数の食材を工業的に配合して製造された、加工の程度が非常に高い食品で、ソーセージや菓子パン、清涼飲料などが代表的なものです。脂質やナトリウムを多く含む一方で、たんぱく質や食物繊維、ビタミン・ミネラル類の含有量が少ないため、食事全体の質が低下します。超加工食品を摂り過ぎると、栄養バランスの乱れと腸内環境の悪化の二点から肥満や糖尿病、心血管疾患、うつ症状や不安といった症状も出ます。一方で、食品添加物は風味や食感をよくしたり、食品の品質安定化、生産コストを抑えるなどの目的で使用されており、便利で手軽で、私たちの生活を豊かにしてくれる一面もあります。
今の時代、否定するだけではいけないと思いますが、私たちの健康は日々の食品の選択によって大きく変わります。魚介類や新鮮な野菜、果物など自然の食材に目を向けて、超加工食品を取り過ぎにならないように心掛けたいものです。
東大医学部篠崎奈々助教らの研究グループは、現在の食のあり方に警鐘を鳴らしています。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和7年8月30日
お客様、ありがとうございます。
今年百二歳となられた茶道裏千家前家元の千玄室氏(八月十四日ご逝去)が生前言われていました。
東日本大震災の苦しみから立ち上がるべく、沢山の人達が今も頑張っておられます。被災者の方とお目に掛かってお話をしたり、お茶を差し上げたりしました。あるお婆さんにお茶を差し上げた時、「ああ、このお茶が頂けてよかったな。お茶のことは知らんけど、この点ててもろうたお茶が、どんなに心を癒やしてくれたことか」としみじみ、言われました。それを伺ったときに私は「たった一椀のお茶でも、こんなに役に立つのだな。ありがたいな。もっともっと多くの方にこの一椀のお茶を飲んでいただいて、皆さんが少しでも苦しみ、
悲しみから逃れられるようにしなければいけない」と自分に言い聞かせたものです。大切なのは、そういう思いやりの気持ちを失わないで、他の人に対して手を差し伸べていくことではないかと。
その時に人生の本当の幸せを感じられるのではないでしょうか。「ありがたいな、もったいないな」という気持ちを多くの人が持っていただけたら、平和という言葉を使わなくても本当に落ち着いた世の中になっていくのではないでしょうか。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和7年8月23日
お客様、ありがとうございます。
明治二十三年、和歌山県沖で難破したトルコ軍艦の話。その時、近くの大島村民が流れ着いた六十九人の乗組員を発見。村民は自らの貧しい生活も顧みず、大切な食べ物まで提供して親身にお世話しました。この話を耳にされた明治天皇は、間髪を入れずに医師団を派遣、遭難者に手厚い看護を施し、二隻の軍艦でトルコまで護送したのです。
この話の後日談。昭和六十年イランとイラクが戦争していた時のこと。イラクは、「これから四十八時間以降、イラン上空を飛ぶ飛行機はすべて撃ち落とす」と宣言しました。世界各国は素早く対応し、自国民の引き上げを早々に完了しましたが、日本だけ対応が遅れ、二百十五人がとり残されてしまったのです。その時、即座に飛行機を派遣し、残された日本人を救い出してくれたのがトルコでした。それは九十五年前の大島村民の行為に対する恩返しだったのです。以来トルコと日本は友好関係を深めながら今日に至っています。
見返りを求めない行為が、善の循環をもたらしたエピソードです。 イエローハット創業者鍵山秀三郎
世界が善の循環を心がけるなら、戦争などなくて、平和で豊かな地球になれるのにと思います。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和7年8月16日
お客様、ありがとうございます。
お釈迦様の弟子に、阿南尊者という方がいました。二十五年間、一日たりともお釈迦様の側を離れなかった、という人です。
お釈迦様がお亡くなりになるとき「お釈迦様が亡くなったら、私は何を頼りに生きていけばいいのですか」と阿南尊者はお釈迦様にすがりました。
お釈迦様は、「自灯明、法灯明」。自らを灯火とし、教えを灯火として生きよ…と。さらに、
「己こそ己の寄る辺、
己を措きて、誰に寄る辺ぞ、
よく整えし己にこそ、
まこと得がたき寄る辺をぞ得ん」と応じられた。
よく整えられた自己こそ、決して無くなることのない得がたきより所である。他をより所としてはならない、と。
人は孤独を恐れます。けれど、常に自分と共にあるのは、唯一、自分自身です。
命尽きるまで、決して離れることはありません。これほど頼れる相手は他に居ないはずなのに、人はそれに気づいていない。 龍門寺住職 河野太道
一人の時間を持ち静かな場所で、じっくり自分と向き合うことも大切なことです。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和7年8月9日
お客様、ありがとうございます。
「衆生無辺請願度」は「四弘請願文」というお経の一節。悩み苦しむ人すべての人達を救い助けるのだという誓願です。師はこう話してくれました。「確かに四弘請願文は大変なことを言っている。だからといって、どうせ無理だからと最初から諦めて何もやらないのではダメなんだ。まず一人でもいいからなんとか救ってあげる。そうすれば、少なくともその一人は救われる。これで良い」
檀家さんの法事に急いでいるとき、信号のない交差点で対向車が右折したくてウインカーをだして停車しているのに、譲らなくてそのまま通過したのです。「私が譲らなくても誰かが止まってくれるだろう」と、つい言い訳して通り過ぎて心配になってバックミラーを覗くと、その車は右折できなくて対向車線はいよいよ渋滞している。その時、「しまったなあ」と後悔したのです。自分も道を譲って貰ったことがあるのにと、申し訳なく思い、それからは、必ず道を譲ることにしています。
すると対向車の方が会釈をしてくれます。自分もなんだか救われたような気持ちになるのです。
まず「一人に寄り添う」真摯に、誠実に向き合ってまいります。
静岡・平田寺住職 竹中智厚
本日のご来店心よりお待ちいたしております。


