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Life 感謝文

令和7年2月22日

お客様、ありがとうございます。

明日二十三日は、天皇誕生日です。
昭和三十五年二月二十三日十六時、皇太子明仁親王と同妃美智子様の第一皇子として誕生されました。いわゆる平民家庭出身であった皇太子妃美智子様のご意向に沿い、ご懐妊に際しては母子手帳が発行され、皇居内の御産殿での出産をせず一般家庭と同様に病院で行われました。皇室慣例によらない親王誕生は、広く国民に注目されました。
幼少時の徳仁親王は、身体は活発だが器用な方ではありませんでしたが、何事にも非常に粘り強く頑張る性格で服のボタン留めなども丁寧にやりとげられていました。学習院幼稚園時代、自転車をマスターする時にも倒れて涙を見せても自分の力で立ち上がり自転車を起こしていたそうです。
四歳の時「なぜ自分には苗字がないのか」と寂しそうに尋ねられたことも。七歳の時には自分の立場を自覚し、一人で歓迎の人達に向かって挨拶されたり、「男の子は泣くものではありません」と躾けられてましたが、弟の秋篠宮文仁親王がベビーベッドで泣いていたとき「赤ちゃんだから泣いてもいいんだよね」と庇う優しいお兄さんでした。趣味は登山とヴィオラ、テニスなどでした。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。

令和7年2月15日

お客様、ありがとうございます。

バレンタインデーは、西暦二六九年二月十四日に処刑された司祭ヴァレンタインを祭る日でした。当時のローマ皇帝は、「若者が戦争へ行きたがらないのは、故郷に残る家族や恋人と離れたくないからだ」として、結婚を禁じました。結婚もできないまま戦地へ送られる若者をかわいそうに思ったキリスト教司祭のヴァレンタインは、若い兵士の結婚式を内緒で行っていたのです。皇帝は命令に従わなかったヴァレンタインを処刑しました。
その後、ヴァレンタインは「聖バレンタイン」という聖人と、広く知られるようになったのです。ヴァレンタインが処刑されて以降、毎年二月十四日はローマ国民がお祈りをする日となりました。
その後、恋愛に結びつけたイベントに成りました。バレンタインデーに行う世界の習慣は、色々。
■アメリカ合衆国。日本とは反対に、男性から女性へ贈り物をするのが文化。定番の贈り物は花束やジュエリー、メッセージカードなどです。
■イギリスは、想いを寄せる人にひっそりと想いを伝える日とされ、当日は匿名のメッセージカードを贈ります。
■ベルギーは、日頃お世話になっている人に感謝を伝える日として、贈り物をします。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。

令和7年2月8日

お客様、ありがとうございます。

「今日も元気になる言葉を発して明るく楽しく過ごしましょう」。
これは、やなせたかしさんの『アンパンマンのテーマ』の一説です。
運のいい人たち、成功者と言われる人たちは、交通事故を起こしても「これで済んで運が良い」と思い。病気をすれば、「休めという神様からのご褒美」とすべてを肯定的に思うのです。
今日は晴れで良かった!今日は雨で良かった!
今日は雪で良かった!冬が好き。春が好き。夏が好き。秋が好き。と言うように。
常に、神様がくれたことに文句を言わずに、「良かった」「有り難い」「ありがとう」と、感謝の言葉を口にしています。
朝、目が覚めて、生きている事自体が「嬉しい!」と言い、今日も仕事ができることに「有り難い!」と感謝の言葉を出す。
それ以上は、「儲けもの」「奇跡だ!」という考え方、生き方の人たちです。
「当たり前」のことが当たり前にある毎日、この「当たり前」と言う幸せに感謝しましょう。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。

令和7年2月1日

お客様、ありがとうございます。

二月三日は二十四節気の「立春」。
一年の始まりとされる日です。そしてその前日が節分です。
現代の日本では、「太陽黄経が三十五度になった瞬間が属する日」を立春としているからです。太陽と地球の微妙な角度によってすこしずつズレていて、うるう年のように日付をずらさないと季節がずれてしまうからだそうです。ちなみに一九八四年は二月五日でした。
明日二日は節分。節分の豆まきは、日本の伝統行事です。平安時代に宮中で行われた追儺という儀式が由来と言われています。
この儀式では、季節の変わり目に訪れる病気や災害などを鬼に見立て、外に追い出すという厄払いが行われていました。
現代の豆まきの原型ともいえます。
節分の行事と言えば豆まきと恵方巻です。
今年の恵方は「西南西」。恵方巻を食べる時は、「切らずに食べる」「恵方を向いて食べる」「喋らず一気に食べる」の三つを守り、願い事を思い浮かべて食べると、願いが叶うそうです。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。

令和7年1月25日

お客様、ありがとうございます。

三十年前の一月十七日。その日は主人が留守のため、たった一人で眠っていたところに、あの阪神大震災は起こった。凄まじい音を立てて家の中のすべてのものが倒れた。無我夢中でパジャマのまま外へ飛び出すと、外では停電で真っ暗な中を、大勢の人が口々に何かを叫んでいた。新婚で引っ越ししたばかりで近所に知る人も少なく避難所の場所さえ分からない私は、余震が続く中を心細さと寒さと恐怖で一人で震えながら立ちすくんでいた。
すると、「これ着とき」と声がして、ある女性が毛布を身体に掛けてくれた。そして、「一人なんやったら、私達とおったらええよ」とまで言ってくれた。安心したのと毛布の暖かさとで、それまで張り詰めていた気持ちが一気に緩んだ私は、しばらく涙が止まらなかった。やがて心も体も震えが収まった私はその家族にお礼を言って彼女から聞いたとおりの道を避難所へと向かった。未曾有の震災で死の恐怖を感じたあの時に温かく包んでくれたあのぬくもりを、私は一生忘れない。(涙が出るほどいい話から)
日向灘地震が無いことを祈りたい。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。