MaruichiMaruichi

Life 感謝文

令和3年7月18日

お客様、ありがとうございます。

「静に造花の跡を観るに、皆な其の事無き所に行わる。」〜言志四録第17条〜

 “心静かにして、自然が生み出す草花の様子を見ていると、少しの無理もなく、強いてやってやろうという気構えがまったくない。”

 老子はこの極意を「上善は水の如し。水は万物を利して争わず、衆人の悪む所に居る」と。水は万物に恩恵を与えながらも少しも気負ったところがなく、常に低いところに位置し、その在り方は極めて柔軟で謙虚。時に応じては水蒸気となり氷となり、その姿は臨機応変、自由自在である。上善とは老子のいう理想的な生き方のこと。

 今現在、地球上で生きる生物の中で人間だけが右往左往しているように見えます。自然に目を向ければ、そこには四季が巡るごとに移りゆく姿がいつもと同じように存在しています。

 森の木々やそこに暮らす鳥や昆虫も“いる”のではなく、“ある(在る)”ように生きているのです。

 本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和3年7月11日

お客様、ありがとうございます。

我が家には「人生即努力、努力即幸福」の書が掛けられていました。祖父はこれをいつも口癖のように言っていました。また、祖父は食後の休息、睡眠を心がけ、勤めから帰ってきて夕飯を食べるとすぐに寝ます。それで夜中に起き出して朝方まで書き物の仕事をしていました。 祖父は85歳で亡くなりましたが生涯「勤勉」と「倹約」を通した人でした。

 祖父の残した人生訓に次の言葉もあります。

  「感謝は物の乏しきにあり。幸せは心の恭倹にあり」物が乏しいほど心はむしろ豊かに幸せになるというのです。現代日本の荒涼とした精神風土に物質的繁栄が関係していることは否定できないと思います。「物を求めず、何事にも努力し、心を恭倹に保ちさえすれば、誰もが幸せな人生を送ることができる」祖父・本多静六は私たちにそう語りかけているのです。                            令孫・本多健一氏談

 日本人の勤勉さが今の日本を築いてきました。

 働くことが美徳でなくなった今の日本、豊かさが当たり前になり、感謝の心と謙虚さえ忘れがちです。人生、「努力」が一番と思うのですが。

 本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和3年7月4日

お客様、ありがとうございます。

ライオンがシマウマを殺しますと、まずお尻の方から穴を開けて内蔵、ことに胃袋を最初に食べます。肉食動物といっても植物の含んでいる成分を必要としているのですが、彼らの歯は、草を食べるのに向いていないのです。だから動物を倒して食べるときには、タンパク質はもちろんですが、胃袋の中にある草が必要なのです。地球に暮らす生物は地球で生まれ、育てられてきたのです。地球の土はすべての栄養素を含んでいますが、第一はミネラルで、第二はビタミン、それから食物繊維です。野菜を食べさえすれば人間に必要な栄養素はすべて摂れるのです。この三つは野菜を食べなければ摂れません。

 同じ野菜でも、旬のときに摂れた野菜、畑(土)で育てた野菜は、栄養たっぷりです。特に無農薬で有機肥料で育てたオーガニック野菜は、美味しいことはもちろん、栄養分もしっかり含んでいます。美味しい野菜、栄養たぷりのオーガニック野菜を是非、食べてみてください。

 本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和3年6月27日

 お客様、ありがとうございます。

一〇五歳で逝かれた聖路加病院名誉院長・日野原重明医師に「長生きの秘訣は何でしょうか」の問に、「一つは、恕す勇気を持つことです」と。

 先生はある時、大切にしていたものを七歳のお孫さんが壊してしまい、怒りのあまりきつく咎めたそうです。すると「わざとやったわけではないのに」とでもいうようにキッと睨み返され、かわいい孫にこんな敵意に満ちた目をさせてしまったことにショックを受けられたと言われました。

 こちらが怒れば相手も怒る。孫を怒るべきではなかった。愛情を持って叱るべきだったと反省され、以来、恕す勇気を持つように努めたそうです。先生はよく使われる「許す」や「赦す」よりも、「恕す」という漢字にゆるすという本質的な意味を感じておられました。この漢字「心」の上に「如」という文字です。つまり、ゆるすとはだれかに許可を出すとか悪いことを赦すということではなく「相手のことを自分の如く思う心」という意味だと考えておられました。だから赦すことで、心が楽になれるので、ストレスとならずに、心穏かに暮らせるのです」と言われていました。

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令和3年6月20日

 お客様、ありがとうございます。

3歳の時、始めて玩具のバットとボールを持たせたら、寝る間も離さない野球好きな子でした。小学3年生で地元のスポーツ少年団に入りましたが、日曜しか練習がなく、一朗が「平日はお父さんと野球する」と言い出して。毎日学校から帰ると暗くなるまでキャッチボールをしたものです。

 子どもが夢を見つける最初のきっかけは、親が与えるものだと思っています。

 6年生では、「夢」という課題の作文の中で、「将来は、一流のプロ野球選手になりたい」と。担任の先生から「大きな夢があるって、とてもいいですね。誰にも負けないぐらい頑張れば、夢は叶うでしょう」と言われて、大喜びでした。

 高校時代、投手として出場し散々打たれた後に「野球をやめたい」と。「公開先に立たず、ということがある。自分でしっかりと考えなさい」とだけ言いました。子どもが落ち込んだ時は、見守ってあげる大人が必要だと思います。

 一朗には、常に「人はひとりで行きているわけではないんだ」と、言い続けて来たものです。

 今日は父の日。      チチローさん(イチローの父)の話

 本日のご来店心よりお待ち致しております。