感謝文
令和5年3月18日
お客様、ありがとうございます。
われわれは、すでに子どもの頃に、両親や教師から「欲張るな」、「騙してはいけない」、「嘘を言うな」、「正直であれ」というような、最も基本的な規範を教えられています。 そのなかに、「人間としての正しい生き方」はすでに示されています。まずは、そのような単純な教えの意味を改めて考え直し、それを徹底して守り通すことが大切です。
最近発覚した企業不祥事や、政治家の倫理問題は、氷山の一角に過ぎず、日本の社会にはまだまだ多くの不正が隠されていると思うのです。
そうであれば、私はリーダーを筆頭にわれわれ日本人のすべてが、先に述べたように、心の手入れを怠らず、プリミティブ(素朴)な教えを頑なに守り通そうとする、生真面目な社会をつくることが、一見迂遠(回り道)に思えるものの、日本を再生するために最善の策であろうと思います。
日本は現在、社会的に危機的な状況にありますが、私は日本人が本来持っている、このような高い倫理感や勤勉性を取り戻すことにより、必ずや復活できると信じています。
故・稲森和夫氏
本日のご来店心よりお待ち致しております
令和5年3月11日
お客様、ありがとうございます。
「今日の言葉」は、タレントで女優の南明奈が夫婦円満のコツを問われたときの言葉だ。例えば、相手がドアの鍵を閉め忘れた時「なんで又忘れてるの!」「鍵閉めて!」とぶっきらぼうな言い方をすると、向こうも嫌な気分になる。だから南は「又鍵開いてたわよ、私が誘拐されたら嫌でしょ?」といった柔らかい言い方で伝える。
この言葉を読んで気付かされるのは、「伝える」と「責める」とは違うということだ。相手の落ち度について、次から気をつけてもらいたいのであれば、穏やかな口調で伝えればいい。もし口調が尖ってしまうのなら非を責めたいという気持ちが強いためであり、それが相手を嫌な気分にさせるのである。しかもこの「責める気持ち」は、相手の落ち度にかこつけてストレスによるいらだちをぶつけている場合も多い。南は「感情でぶつかって喋らないように気をつけています」とも語る。家族は、互いに何かを注意する際は、思いやりと気遣いが大切になるのだ。
「ことば巡礼」宮日コラム
夫婦のうちエライほうが、相手の不完全をそのまま黙って背負ってゆく。
教育家 森信三氏の言葉
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和5年3月4日
お客様、ありがとうございます。
一般の堆肥などでは、硝酸態窒素が分解されアミノ酸窒素になり野菜を成長させるのです。だから、硝酸態窒素で与えるよりもアミノ酸窒素で与えたほうがストレスなく、美味しいのです。
肥料として効率よく、アミノ酸を供給できる有機質肥料が微生物発酵のボカシ肥料なのです。
低温でじっくり時間をかけて発酵させたボカシ肥料は、アミノ酸の他、微生物や、微生物が生成した植物ホルモンなども含まれています。
有機質肥料でしか作れないアミノ酸、そして植物ホルモンを得られること。ボカシ肥料栽培には、安全・安心以外にこういったメリットがあるのです。確かに長年ボカシ肥料を入れている畑の野菜は本当においしいのです。
手作りボカシは毎日、上と下を入れ替え混ぜ合わせ、高温にならないように手入れします。この手間がおいしい野菜の原材料になるのです。
特に、日向百生会のボカシ肥料の特徴は、米ぬかやおから、籾殻、クズ米、クズ豆などの穀物材料で作っており、本当に安全安心の肥料です。
家庭菜園などには、最適、最良の肥料です。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
令和5年2月25日
お客様、ありがとうございます。
「バスのなかで」 坂村真民
この地球は
一万年後
どうなるかわからない
いや明日
どうなるかわからない
そのような思いで
こみあうバスに乗っていると
一人の少女が
きれいな花を
自分よりも大事そうに
高々とさしあげて
乗り込んできた
その時
わたしは思った
ああこれでよいのだ
たとい明日
この地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのだ
たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を
失わずにゆこうと
涙ぐましいまで
清められるものを感じた
いい匂いを放つ
まっ白い花であった
一日でも早く戦争のない地球になってほしい。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
令和5年2月18日
お客様、ありがとうございます。
私が松下電器を54歳で辞める時、「何かあったのか」と心配の声。「何もなかった」と伝えようと思った時、ある雑誌に、ご指導いただいていた三浦綾子さんの記事。私は、飛びつくようにしてその記事を読んだ。その記事のたった一行の見出しは、その時の私には衝撃的だった。
「一流の人間は決して弁解しない」途中退社をすることに、心配をしてくれる人たちに、何を言ってもそれは弁解であり、言い訳でしかない。
その時、「そうか、いっさいの弁解、言い訳をしなければ、人間一流になれるのか」と。人生は、ただ一つ。これだけは守り通すのだと決めた“生きる原理原則”を貫けば、人間一流になれるのだと、強烈に思い知らされたのである。
以来、一切の弁解、言い訳をしないと心に決めた。裏返せば、自分に関わることのすべては自己責任と、生き方が変わってくるのには驚いた。
「言い訳しない」ということは、「言い訳しなくてもいい生き方をする」ことである。自己責任は、人間を精神的に強く、誇り高いものにしてくれる。
志ネットワーク(青年塾)代表 上甲晃
本日のご来店心よりお待ちいたしております。