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Life 感謝文

令和4年4月2日

お客様、ありがとうございます。

農薬も化学肥料も使わずに育てた有機米や有機野菜を学校給食に取り入れる動きが、全国の自治体で広がり始めた。

関係者は、学校給食の有機化は、子どもの食物アレルギーや発達障害などの症状の急増傾向に歯止めを掛け、かつ、地域再生の起爆剤にもなり得ると大きな期待を寄せる。農林水産省も支援に乗り出しており、「有機後進国」と言われる日本で有機市場が一気に拡大する可能性も出てきた。

元農林水産大臣の山田正彦さんは、シンポジウムでの講演で、有機給食の無償提供が全国規模で広がっている韓国を視察した時の話をしながら、「台湾やブラジル、フランスでも学校給食に有機食材が提供されるなど、(給食の有機化は)いまや世界的な流れになっているが、日本だけがおかしい」と指摘。その上で、「日本の子どもたちの間でアトピーやアレルギー、発達障害が異常なほど増えているのは、大人たちに責任があるのではないか」と述べ、子どもたちの食事を早急に見直す必要性を訴えた。

食の安全性を、見直す時が来ているようです。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和4年3月26日

お客様、ありがとうございます。

松下幸之助氏は、父の事業失敗で尋常小学校卒その上体も弱かった。そこで「助けてもらわんとやっていけない」と考え、雇った人の力を引き出して育てていく「活人力」で大会社を創った。

松下さんが人物教育の為にとった方法というのがあります。命令して仕事をさせるのではなくて「どうしたらいいだろうな?」と質問をして、答えさせる。そして、その社員が言ったことを「やってみるか」とやらせてみて、失敗しても「今度はどうしたらいいと思う」とさらに質問をして考えさせる。それでうまくいくまでやめさせないのです。

これは子供の教育でも同じです。子供でも「勉強しなさい」といってやらせるのではなくて、親が質問して子供から教えてもらって「ああ、そうなの。すごいわね」と、子供の話に感動してやると勉強するようになる。大人でも子供でも、教えたら教えたことしかしないものです。

この方法で、本当に実力のある強い意志を持つ社員が育ちます。

「感性型のリーダー」吉村思風

新入社員、新入生。しっかりと育てねばなりません。先輩である私達がまず勉強です。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和4年3月19日

お客様、ありがとうございます。

渋沢栄一の凄さは最初の志の高さ、そしてそれを九一年の生涯貫いたことでしょう。 以前ある方にリーダーの条件について伺った時、「やりたいことがある人」だと教えられました。

確かに、大企業の幹部と話をしていても、やりたいことがない人が、かなり多くいます。

そういう人がトップに就くから、地位を守るために保身に走ったり権力争いが起こったりする。若い時志があっても、年を経るごとに腐らせ、無くしてしまうのでしょう。

渋沢栄一の前半生はものすごく揺れ動いているように見えますが、その志は一貫していました。「沈む日本をどうにかしたい」、その軸があったので、最初こそ倒幕を目指したものの、徳川慶喜という人物がリーダーとして立てば日本は素晴らしい国になると考えが変わり、幕臣となって日本のために仕えました。明治になると合本主義を唱え、五〇〇の企業を育てました。

この柔軟性は志の高さゆえのものです。しかも、その初心を腐らせず、生涯日本のために働き尽くしました。

今こそ、誰か沈む日本を、何とかして欲しい。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和4年3月12日

お客様、ありがとうございます。

体調が悪いのだけど、病院に行っても特に悪いところは見つからないし、薬を飲んでも解決しない…という経験が、今までに何度かありました。

いろんな専門家の方にも相談しましたが、どのお医者様も口を揃えて言うのが「食事と睡眠」。ろくに休みも取らず適当な食事をして健康にしてほしいというのは虫が良すぎる、と指摘されてしまいました。そこで食事を見直して、シンプルな和食中心にして野菜や果物をたくさん摂るようにしたら、二週間位で体調が変化して、ラクになってきて「体は正直なんだな、今まで本当にごめんなさい」と思ったんです。

栄養バランスと同時に気をつけているのが、冷たいものを摂り過ぎないこと。女性にとって冷えは大敵、夏でも冷たい飲みものは、できるだけ摂らないようにしています。バッグにはいつも水筒を入れているのですが中身は温かいお茶かお湯。

「体は食べた物で作られる」本当にそのとおり。今の自分が口に入れている物が数年後の体調を大きく左右すると考えると、一食でもおろそかにはできません。

「小さな幸せの見つけ方」羽田美智子

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和4年3月5日

お客様、ありがとうございます。

昭和三十七年、今から六十年前。小ちゃなお店。

日向市江良町に、たった三十坪の食品倉庫を改造して、当時、スーッと出てきて、パッと消えるから、スーパーだと揶揄されるくらい、全国各地にスーパーが乱立した頃、セルフサービスの食品店マルイチストアが開業しました。

店員さんも母と姉二人、そして肉・魚担当の経験者のおじさん一人、近所の若い娘さんが二人ほど手伝ってくれていました。

店休日が月二回、午後七時までの営業。まだ、現金正札、セルフサービスが珍しい頃で、日向では最初のスーパーだったかと思います。レジなんてありません。勘定所には、大きな算盤と、お札入れには天井から小さなザルがゴムで吊るされておりました。肉と魚は、ガラスの冷蔵ケースの中に並べられ、お肉は量り売り、お魚は丸魚で、注文に応じて調理する売り方でした。お惣菜は母が、売り場の片隅で揚げたり煮たりしていました。コロッケはじゃがいもからの手作りでした。おかげ、おかげさまでの六十年です。

これからも、よろしくお願い申し上げます。

本日のご来店心よりお待ち致しております。