感謝文
平成29年10月1日
先月、門川と宮崎で“お弁当の日”を推進しておられる竹下和男先生の講演会を行いました。私は“弁当の日”を通して、いろんな喜びがあり、いろんな事を学びました。一つ目は、自分一人で作れる料理が増えたこと。今では沢山の料理を作ることが出来るようになった。二つ目は「ありがとう」「美味しかった」と言われるしさを知った。私は弁当の日に父や兄の分まで作った。その夜帰ってきた父や兄の口から「かった、ありがとう」と言われた。とても嬉しかった。 三つ目は母のさだ。母はこんな大変なことをしてくれているのだと実感した。しかし私は一度、母の弁当をがったことがある。母はとても嫌な思いをしたことだろう。している。“弁当の日”は私の考えを変えた。四つ目は、「いただきます」「ごちそうさま」の大切さがった。私達のせいで、命を落とす動物や野菜達のためにキチンと言わねばならないと思った。私は弁当の日を多くの学校でして欲しいと思う。そして何よりも弁当づくりの楽しさを実感して欲しいと思う。弁当の日感想 綾上中二年横井夢子本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年9月24日
「お魚」 金子みすず
海の魚はかわいそう。/お米は人につくられる、/牛はで飼われてる、/鯉もお池でをもらう、/けれども海のお魚は、/なんにもにならないし/いたずら一つしないのに/こうして私に食べられる。/ほんとに魚はかわいそう。 この詩をんで、ある園児が「だからぼく、お魚食べないんだよ」。すると他の子が「ちがうよね、先生。だから一生懸命食べるんだよね」と言ったそうです。この子も最初の子どもと同じく「かわいそうだから食べない」と言ったのでしょう。しかしお母さんから「命が命を支えてくれている」という大切なことを教えてもらい、このようなステキな発言になったのです。 神は、命を守るためには他の弱い命を食べなければならないと言うな悲しみを私達に与えました。そして、これ以上の悲しみをつくらないように生きなさいと教えられたのです。も、おとして出された魚の料理を食べられました。でも、親鸞聖人は魚のを願い、ながらし上がられたそうです。本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年9月17日
清水寺初代管長大西良慶百七歳。
ワシも今は一〇五歳。仏教では、又生まれ変わる、かといってすぐにでもあの世へ行かして、再び健康で若々しい肉体に生まれ変わりたいとは思わない。をつき、な身体であるけれど、やっぱりこのがおしい。を約束されてるでさえ、すぐにでも行きたいとは言わなかったそうな。
になっても、この身が可愛いい。しかし長生きしてもでないとを喜べない。
ワシは三つの原則をきた。一、良く食べる二、よく眠る三、よく働くである。
だからこのまで元気で来られた。有り難い。
良く食べるということは、甘い、辛い、そして苦いをそれぞれに美味しく食べる。
よく眠るとは、いろいろ考えて寝てはいけない。眠ったら起こされるまで起きない覚悟で眠る。よく働くとは、今日を一所懸命に働く。
自分の身をおしみ、自分の生きている世界を大いにおしんでいただきたい。我が身可愛さ、生きること百歳。まだまだ可愛く百五歳。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年9月10日
「運のいい人はずっと運がいい、運の悪い人はずっと運が悪い」という法則があります。
ジャンケンやあみだくじなどで、あの人はいつも勝つ、いつも当たると言われる人。身近にそういう人いませんか。
まさに「運のいい人はずっと運がいい」です。
ただし、運は変えることが出来ると多くの成功者はいわれます。
松下電器の創業者松下幸之助さんは、どんなときでも「運がいい。運が良かった」といわれてました。海に落ちた時でも。
人間学の小林さんは「ありがとう」を、のようにいっていれば、必ず運がついてくる、「宝くじでも当たる」と言ってました。
離婚6回、結婚6回、98歳まで元気だった女流作家の宇野千代さんは、いつも小声で「幸せだなあ」といたそうです。
「ツイテル、ツイテル」といつも言ってたら、必ずついてくると、誰かがいってました。
「の家にあり」。「」を積むと、必ず良いことが有ると、昔の人はいってました。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成29年9月3日
安政元年三月二七日、は金子重輔と共に伊豆下田にしていたアメリカのに乗り込もうとして失敗し、下田のにつながれます。
一夜明け、松陰はに「に本がないから、何かお手元の本を貸してくれませんか」と頼みます。牢番はびっくりして「あなたたちは大それたを、明日の命もらない。こんな時に勉強しなくてもいいのではないか」
この牢番の言葉に松陰はこう言うのです。
「およそ人一日この世にあれば、一日の食をらい、一日のを、一日の家に居る。なんぞ一日の学問、一日の事業をまざらんや」。
明日をも知れない命なのに、本が読みたい、学びたいと言う吉田松陰。
今の教育は、食べて行くための勉強である。 江戸時代の教育の目的は、より良き人間をつくることが目的だった。人間らしく生きるための勉強であった。「死ぬまで一日たりとも無にしない」松陰としては当たり前のことであった。
日本の教育について考える時ではないだろうか。占部賢志(致知九月号)。二学期が始まりました。本日のご来店心よりお待ち致しております。