MaruichiMaruichi

Life 感謝文

平成30年2月18日

みぎほとけ ひだりわれぞと あわすの

 中にゆかしき の

 「善悪、二つの心が入り交じっている私達が、右手と左手を合わせて、南無(心から仏さまの教えを信じ、従います)と唱えるところに、仏さまと私たちが一つになった世界があるのだ」という古歌です。

 5本の指の間をくっつけ、左右のをピッタリと合わせ、胸の前で合わせます。

 合掌は、インドで古くから行われていた礼法です。右手は清浄な手とされ、良いものや美しい行いを、左手はの手とされ、悪いものや行いを表します。そこから、右手は仏さまを、左手は私たちを示すようになりました。ですから、合掌は、仏さまと自分が一体になったことを表すのです。

 本当に素直になれたとき、人は自然に合掌します。インドやネパールでは挨拶するとき合掌します。田舎では、道などで出会うとわれわれ観光でいっている人間にも「ナマステ」、あなたを尊敬しますと合掌して挨拶してくれます。

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平成30年2月11日

今日は建国記念の日。神武天皇即位の日です。

 。後の神武天皇は九州日向国で生まれた。生まれながらにしてで強い意志を持っていたミコトは十五歳で皇太子となり、四十五歳で兄たちを連れへ向かったその後を平定し紀元前六百六十年二月十一日に、初代神武天皇となった。これが建国記念の日になっている。当時五十二歳であった。

 ニニギノミコトが高千穂にして約百八十万年余り。未だ全土をしていなかった。

 そこで日向から大分宇佐に着き、福岡県の岡田宮に一年止まり、広島、兵庫、大阪へと向かう。 途中、いろんな敵や災難にうが、の力も借りて、で即位する。

 即位から二六七六年、我が国日本は世界一長く続く国である。神武天皇は、即位した際『天下を一家と考え、自分が正しいことを行ってその心を広めたい』と述べられている。

 百二十五代天皇に至るまで、このを守り続けた。これこそが世界一長く続いた国のとなっている。    日本大百科全書

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平成30年2月4日

昨日の節分、今年のは南南東。

 人生の恵方は、といえば、「恵方とは、ただこの道をすすむこと」と松下幸之助氏。

 自分には自分に与えられた道がある。の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。広い時もある。時もある。上りもあれば下りもある。とした時もあればかき分けかき分け汗する時もある。この道が果たしてよいのか悪いのかにあまる時もあろう。しかし所詮この道しか無いのではないか。と言うのではない。今立っているこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。他人の道に心をれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。道をひらくためには、先ず歩まねばならぬ。心を定め、に歩まねばならぬ。

 それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道が開けてくる。深い喜びも生まれてくる。松下幸之助(道をひらく)

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平成30年1月28日

ノートルダム清心女子大学の名誉学長、渡辺和子先生が昨年末、89歳で亡くなられました。

 「置かれた場所で咲きなさい」の名言をされました。(時間の使い方は、そのままいのちの使い方。置かれたところこそが、今のあなたのなのです。「こんなはずじゃなかった」と思う時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。)

 多くの名言の中から、思い出してみました。

 神様は私たちの「願ったもの」よりも、幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。それは必ずしも自分が欲しくないものかもしれません。しかしすべて必要なものなのだと、感謝してに受け入れることが大切です。

 人生はいつもいつも第一志望ばかりを歩けるものではありません。 そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、 自分にとって最良と言えないことだってあるのです。

 「自分と仲良く生きる」といい。好きな自分と一緒にいる人は、自然と笑顔が多くなり、相手も幸せにします。

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平成30年1月21日

平成8年のアトランタ五輪から平成12年のシドニー五輪まで、山下は8年間全日本柔道チームの監督をた。そこではの提唱した精神に、「最強の選手」ではなく、「最高の選手」を育成しようと心がけた。

 60キロ級で柔道史上初の金メダル三連覇を成し遂げた野村忠宏。金メダルを取った翌日、心身ともに切ってるにもかかわらず、これから試合に選手の付き人を自ら買って出た。その選手は試合には敗れてしまったが、彼の柔道着をようにたたんでいた野村選手の姿が頭に焼き付いて離れない、と山下は言う。

 シドニー80キロ級の金メダリストは全日本柔道の合宿中、早朝、乱雑に脱ぎ散らかされたトイレのスリッパを丁寧に揃えていた。シドニー100キロ超級の決勝戦で「世紀の」により銀メダルに終わった篠原信一。後に、国際柔道連盟理事会がビデオ分析により、誤審と認めたが、規定により判定はらなかった。しかし、篠原は「自分が弱いから負けた」としか言明せず、引き下がった。

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