感謝文
平成31年3月24日
経営の神様松下幸之助氏に初めてお目にかかった時に、「経営者の条件とは何ですか」って聞いたら、真っ先に「運が強いことや」と。「運を強くするにはどうしたらいいですか」と聞いたら、「徳を積むことしかない」と。
また、徳については「徳というのはAさんに掛けて、Aさんから返ってきたことは一回もない。どこから返ってくるか分からないから、会う人それぞれに徳を掛けなきゃいけない」と。
「徳」とは、自己の最善を他者に尽くし切ることです。
『論語』に「徳はならず、必ず有り」とあります、やっぱり人間は一人では生きていけない。他者の応援が必要です。それには徳を掛けることが不可欠なんです。ありがとうと感謝され、自分が困っている時に、見返りなく手を差し伸べてくれる。そういう感謝の人間関係で結ばれた人との縁が運を運んでくれるのです。 田口佳史
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成31年3月17日
お父さんが一年前に交通事故で亡くなり、南三陸町で、母子二人寄り添って暮らしてました。
三月一一日、一〇歳の息子は風邪をひいて家で休んでいました。そこに激しい地震が訪れ、が来るという報せで、することになったのです。ののままで外に出ようとした時、お母さんはふと思い立ちました。
「お母さんは大事なものを取ってくるので、ここにいてね」病気の息子のために、2階から防寒具を取ってこようとしたのです。すると、「僕が大事なもの、持ってきたよ」子供が見せたものは、から持ち出した父親のでした。
「そう、お父さんは一緒なんだ。じゃあすぐるから待っててね」そう言い残してお母さんが2階に駆け上がるやや、津波が1階をのみ込んだのです。あっと思う間もなく息子の姿は消えました。涙ながらにお母さんは「あの子にとって、最も大事なのはお父さんでした。息子は先にお父さんのもとに行きましたが、あの子は、家族がいかに大事かということを身をもって私に教えてくれました」と。明日から春彼岸。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成31年3月10日
「鯨法会」 金子みすゞ
は春のくれ、
海にとれるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれてをわたるとき。
村の漁師が着て、
浜のお寺へいそぐとき。
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしと泣いてます。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。
みすゞさんのふるさとは、昔、鯨のとれる漁師町でした。三五〇年続いているは、とともに命を絶ったをした五〇基ある「」の法会です。
この鯨墓は、いつでも胎児たちが海の母鯨に会えるようにと、に、海に向かって立っています。仙崎の人の優しさと、みすゞさんの優しさが、心を温かい涙で満たしてくれます。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成31年3月3日
かっては見られた、めだかの学校。
めだかはまだ、に指定されたままです。農薬やによる水質。の。コンクリートによる…。
そして今、めだかの保護活動そのものも、その原因とされています。
地域ごとにんでいるめだかのは違います。人間が良かれと思い、めだかをし、自然に返しても、もともといたその地域のめだかは、ダメージを受けてしまうのです。
自然が、自然にある、。
がいかに簡単ではないか。
学び続けていくしかありません。
ぼくらの学校、ふたたび。
これはめだかだけではない。
私たち人間に対する言葉だ。
去年11月28日全国紙のACJAPANの広告です。
「自然が、自然にある、今は奇跡」なのです。
今日、財光寺店で農薬や化学肥料を使わない野菜を日向百生会とその仲間たちが売ってます。自然とに優しい農業を仲間です。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成31年2月24日
自分の体は、自分自身が食べたもので出来ています。そうならば、食べるものを変えれば体が変わるはず。本当に体に良いものをり入れていけば、悪かった血液も、良い血液に変わっていく。良い血液が回りだしたら、、自然のアップにもなって、我が身にっているがん細胞にもきっと良い働きをしてくれる。がんの私に、残されている時間はわずかでしたが,少しでも早く良い血が体内まで流れてくれるように願いながら私は昔の日本人の食事の見直しにかかりました。
そうして着いたのは、食品である味噌や醤油やみりん、酢や、それに天然塩。鰹節・昆布・干し椎茸で取る「」。新鮮で多彩な海の幸、山の幸をもとに「米・味噌汁・野菜のおかずなどの」。海に囲まれた豊かな日本の国土で、日本人が代々伝えてきた体に優しい健康食があるのに。何十年も米や味噌醤油が一切ないキッチンで働いてきた私。皆が健康的な日本食なら、がんの激増は防げたのにと。「癌で余命ゼロと言われた私の死なない食事」 Fシェフ神尾哲男
本日のご来店心よりお待ち致しております。