MaruichiMaruichi

Life 感謝文

平成30年3月4日

平昌オリンピック、スピードスケート女子500メートルで小平奈緒が、金メダルを確信してスタンドに向かって、を口に当てるポーズで「に」と無言で呼び掛けていた。直後のレースで最大のライバル、(韓国)へのさりげないであった。

 そして競技終了後、涙を流すに駆け寄ってし、韓国語で「よく頑張った」と、同じチームの選手が金銀をしたかのように互いを、ともに場内のにた。

 二人が並んだ記者会見。小平が「サンファはいつも親切なんです。3年前にソウルのW杯で私が優勝したとき、すぐオランダに戻らなきゃ行けなかったんですけど、リンクから空港までのタクシーを呼んでくれて、お金も出してくれた。結果ははずなのに、に奈緒のためにという思いでそれがすごく嬉しかった」

 李もまた「アスタナでバスを待っていたときに、奈緒は『次の五輪はあなたが勝って私が二位ね』と。私も、あなたが勝って私が二位でいいと言い合いました」としそうに話した。

 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成30年2月25日

この花は、ふもとのむらの にんげんが、やさしいことを ひとつすると ひとつ さく。

 あや、おまえのあしもとにさいている赤い花、

それは おまえが きのう さかせた 花だ。

 きのう、いもうとの そよが、「おらサも みんなのように 祭りの 赤いべべ かってけれ」って、あしをドデバダしてないて おっかあを こまらせたとき、おまえは いったべ、

「おっかあ、おらはいらねぇから そよサ かってやれ」そういったとき その花がさいた。おっかあは、どんなに たすかったか!そよは、どんなによろこんだか!おまえはせつなかったべ。だども、この赤い花がさいた。この赤い花は、どんな祭り着の花もようよりも、きれいだべ。ここの花は みんなこうしてさく。この 花さき山 いちめんの花は、みんなこうして さいたんだ。つらいのをしんぼうして、じぶんのことより ひとのことを おもってなみだを いっぱいためて しんぼうすると、その やさしさと、けなげさが、こうして 花になって、さきだすのだ。『花さき山』より 三日はお雛様。 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成30年2月18日

みぎほとけ ひだりわれぞと あわすの

 中にゆかしき の

 「善悪、二つの心が入り交じっている私達が、右手と左手を合わせて、南無(心から仏さまの教えを信じ、従います)と唱えるところに、仏さまと私たちが一つになった世界があるのだ」という古歌です。

 5本の指の間をくっつけ、左右のをピッタリと合わせ、胸の前で合わせます。

 合掌は、インドで古くから行われていた礼法です。右手は清浄な手とされ、良いものや美しい行いを、左手はの手とされ、悪いものや行いを表します。そこから、右手は仏さまを、左手は私たちを示すようになりました。ですから、合掌は、仏さまと自分が一体になったことを表すのです。

 本当に素直になれたとき、人は自然に合掌します。インドやネパールでは挨拶するとき合掌します。田舎では、道などで出会うとわれわれ観光でいっている人間にも「ナマステ」、あなたを尊敬しますと合掌して挨拶してくれます。

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平成30年2月11日

今日は建国記念の日。神武天皇即位の日です。

 。後の神武天皇は九州日向国で生まれた。生まれながらにしてで強い意志を持っていたミコトは十五歳で皇太子となり、四十五歳で兄たちを連れへ向かったその後を平定し紀元前六百六十年二月十一日に、初代神武天皇となった。これが建国記念の日になっている。当時五十二歳であった。

 ニニギノミコトが高千穂にして約百八十万年余り。未だ全土をしていなかった。

 そこで日向から大分宇佐に着き、福岡県の岡田宮に一年止まり、広島、兵庫、大阪へと向かう。 途中、いろんな敵や災難にうが、の力も借りて、で即位する。

 即位から二六七六年、我が国日本は世界一長く続く国である。神武天皇は、即位した際『天下を一家と考え、自分が正しいことを行ってその心を広めたい』と述べられている。

 百二十五代天皇に至るまで、このを守り続けた。これこそが世界一長く続いた国のとなっている。    日本大百科全書

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平成30年2月4日

昨日の節分、今年のは南南東。

 人生の恵方は、といえば、「恵方とは、ただこの道をすすむこと」と松下幸之助氏。

 自分には自分に与えられた道がある。の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。広い時もある。時もある。上りもあれば下りもある。とした時もあればかき分けかき分け汗する時もある。この道が果たしてよいのか悪いのかにあまる時もあろう。しかし所詮この道しか無いのではないか。と言うのではない。今立っているこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。他人の道に心をれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。道をひらくためには、先ず歩まねばならぬ。心を定め、に歩まねばならぬ。

 それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道が開けてくる。深い喜びも生まれてくる。松下幸之助(道をひらく)

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