感謝文
令和4年5月28日
お客様、ありがとうございます。
「あんな人、顔も見たくない」と思うような人に出会った時には、心を込めて「有り難うございます」と、心の中で言ってみる。すると人間関係が良くなっていくものです。相手に向かって直接言うのは難しいとしても、神様に向かって、あるいはその人との出会いに何か意味を感じ取って「有り難うございます」と言うことはできます。
それを続けて行くと、本当に状況は変わっていくのです。多くの人は、心で思ったことが言葉として現れてくると思っていますが、逆も真実であり、語った言葉が心を変えていくこともあるのです。それが「身心一如」(心と体は同じ)の理と呼ばれるものです。
「あの人は嫌いだ」と思っていても、その相手を心に思い浮かべ、ただ「有り難うございます」という言葉を唱えるだけで、不思議なほど、自分の心が変わり始め、それを続けていくと、徐々にその人間関係が良き方向に変わっていくのです。
多摩大学大学院名誉教授 田坂塾塾長 田坂広志
言葉は魔法。声にだした言葉は心も変える事ができるということです。良い言葉を使いましょう。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
令和4年5月21日
お客様、ありがとうございます。
私が小さい頃、中央の政界や官界で出世した人が帰省してくる。すると、近所のおじさんが「小学校の頃、俺は級長であいつは頭がよくなくて、俺によく泣かされたやつだ」とか言うんです。
確かに、そのおじさんは弁も立つし、近所でも有名なんですが、どうしてもそのおじさんと、いま帰ってきている人とを比べてみると、雲泥の差で向こうが偉いと思うのに、おじさんに言わせれば、あいつは大したことなかった、と言う。
それで、おじさんは大変威張って、そういうことを吹聴しているけど、子供心に、どうも向こうのほうが偉い。いや、なぜそうなったんだろう。おじさんは小学校の頃から今も、能力があったのを鼻にひっかけて努力をしなかった。あの人はそれほどできがよくなかったから級長はできなかったかもしれないけれども、以後一所懸命に努力をしたから、その差が何十年も経ち、人生の後半になった時に大変な差になったと考えたのです。そのことにふっと気がついて、考え方が一番大事だと。そこで、人生の結果=能力×熱意×考え方という方程式をつくったのです。 京セラ会長稲盛和夫
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令和4年5月14日
お客様、ありがとうございます。
お姉さんはとても綺麗で、幸せそうでした。
でも、妹の姿を見て、何かひそひそお話をする方もおられました。そんなときにお色直しから扉を開けて出てこられたお姉さんは、驚いたことに、妹が縫ったあの浴衣
を着ていたのです。
一生に一度の披露宴に、妹が縫った浴衣を着てくれたのです。お姉さんは旦那さんとマイクの前に立ち、私と妹をそばに呼んで「この浴衣は私の妹が縫ってくれました。
私の妹は小さいときに高い熱が出て手足が不自由です。でもこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。妹は病気になって、家族から離れて生活しなければなりません
でした。その妹が不自由な手に血豆をいっぱい作りながら練習し、一所懸命にほとんど一人で縫ってくれたのです。私のことを恨んでるんじゃないかと思ったこともあり
ました。でもそうじゃなくて、私のためにこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。
私はこれから妹のことを、大切に誇りに思って生きていこうと思います。」会場から大きな拍手。妹もとてもうれしそうでした。そしていま和裁を学んでいます。
山元加津子(養護学校教諭)
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令和4年5月8日
お客様、ありがとうございます。
漫画家手塚治虫が小学生の時、授業中に漫画を書いていて、先生に怒られた事がありました。母親も呼び出されて、漫画を書くのを止めさせるようにと怒られました。
しかし家に戻って、母は叱らずに「どんな漫画を描いていたの、見せて頂戴」と良い、ノートをじっくりと見てから、「治(治虫)ちゃん、この漫画は面白いよ。お母さんは
あなたの漫画の、世界で第一号のファンになります。これからも面白い漫画をたくさん描いてね」と逆に、励ましたのです。
医学部に進んだ治虫が、医学と漫画の両立に悩んで母に相談すると「あなたは漫画と医者のどっちが好きなの?」「漫画です」「じゃあ、漫画家になりなさい」と、あっさり答えたそうです。
治虫は後年、このときのことを振り返って、「母はいいことを言ってくれたと思っています。母のこの一言で決心が付き、本当に充実した人生を送ることができまし
た。」と感謝の言葉を述べていたそうです。 明日は母の日。絶対肯定の無条件の母の愛が治虫の才能を伸ばし鉄腕アトムが生まれたのです。
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令和4年4月30日
お客様、ありがとうございます。
デビュー二年間、トランクいっぱいにレコードを詰めて知らない街のキャバレーで歌い、客席を回ってレコードを買ってもらうのです。その頃です、マネージャーに、レコードの売上も私のお給料も全部盗られたのです。悲しくて悲しくて…。
ある時次の街へ移動するためガラガラの始発電車に乗って、トランクを前に抱え両脇に大きなバッグを二つおいて座りました。いつの間にか、泥のように眠ってしまった
んです。ハッと目が覚めると朝のラッシュ、電車は超満員。そんな中私が何人分の席を占領してるわけです。申し訳なくて恥ずかしくて…。でも、誰からも「どけ!」など
ときつい言葉はありませんでした。それから数年後、「数年前、トランクを抱えて電車で寝ていた女の子がいました。疲れているんだから寝かせておいてあげようと、皆
で言い合ったんです。あれは八代さんだったのでは?」のお手紙。心がポッと温かくなりました。どんな事があっても、いいことが十の内一つでもあればありがとうと言ってきました。その原点は、いつでも誰にでも優しかった両親です。
PHP5月号(八代亜紀さん五十周年から)
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