感謝文
平成30年10月7日
横綱といえば双葉山。横綱昇進後勝率八割八分。優勝一二回、引退後は相撲協会理事長を努め、とした相撲協会の改革を行った。を説き、どんな相手に対しても同じような態度でんだ。自ら待ったをかけることはなく、相手力士がかけ声を発すれば制限時間前であっても、一回の仕切りでさえ受けて立った。
前頭四枚目のノ海に破れ、連勝が六九で止まった時も、悔しさや絶望感などを表情に見せることなく普段通り一礼し、東の花道をと引き揚げて行ったという。
そして、その日の夜に師と仰ぐ安岡正篤に対して「イマダモッケイタリエズ」と打電した。 とは、他のがしても、全く相手にせず。まるで木でった鶏のようにとしていた最強の鶏のことで、安岡正篤に、土俵に上がるだけで相手を圧倒する木鶏を目指せと言われてたので、敗戦の電報であった。翌場所は全勝優勝した。右目が見えず、横綱昇進後にた二四敗は右側から攻められたものであったが、常に態度でをた。 本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年9月30日
桃栗三年柿八年、梅は十三年」
果樹を植えたら、食べられる実がなるまでにそれ相応の年月がかかります。何事も成就するまでは時間がかかる、辛抱が大事というのです。
桃栗三年、柿八年、梅は酸い酸い一三年、は大バカ一八年、りんごニコニコ二五年、女房の不作は六〇年、亭主の不作はこれまた一生。女房は六〇年で一人前になり、亭主は一生かかるとは、情けない
「梨の馬鹿めが十八年」「の気違い三〇年」というのもあります。
劇作家の武者小路実篤は、「桃栗三年柿八年、は九年で俺は一生」と書きました。
が、中国のの少林寺で壁に向かって座禅し、九年でを開いた「九年」というを元に、それに続けて「俺は一生」と表現し、自分自身が実るには一生かかり、生涯修行だということを表現されたのです。
まずは種をこと。最初の一歩を踏み出さないと何も出来ません。
一生勉強、一生努力。「死ぬまで一生懸命」。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年9月23日
「秋彼岸」とは秋分の日を中日とする前後七日間のこと。お寺のに参加したりお参りに行ったりして先祖やをします。
お彼岸の期間は、へ生まれ変わりたいと願い、、、、、、という正しい六つの行いをする時とされています。お盆が先祖のがこの世に戻ってくるのに対し、お彼岸はこの世からへ近づくためにをする期間です。
春分の日と秋分の日は、太陽がから昇り、に沈みます。真西にはの極楽浄土があるとされ、太陽がに向かうと考えられたことから、お彼岸になったという説が一般的です。
「国民の祝日法」ではその目的について、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」と定められています。
お彼岸に仏教的な行事を行うのは、世界中でも日本だけのです。日本の良き風習、文化を子供にも伝えてゆきたいと思います。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年9月16日
五十や六十、花ならつぼみ
七十、八十は、花盛り
九十になって迎えが来たら
百まで待てと追い返せ
五十や六十、はな垂れ小僧
七十、八十は、働き盛り
男ざかりは、百から、百から
大西良慶
京都元大西良慶は一〇八歳、昭和五八年の二月二五日の朝四時、お釈迦様と同じ日時に、亡くなられました。
「長寿の秘訣は」と訊かれると、「よく食べる」「よく働く」「よく寝る」の三つだと。
よく食べるということは、「いただきます」「ごちそうさま」と感謝し美味しく食べる。
よく働くとは、身に応じただけの体を使うこと。よく寝るには、おおきに阿弥陀さん、観音さんと言って仏さんと一緒に寝るこっちゃと。
明日は敬老の日。せめて百までお元気で。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
平成30年9月9日
「梨の芯」 金子みすゞ
梨のは捨てるもの、だから
芯まで食べる子、けちんぼよ。
梨の芯は捨てるもの、だけど
そこらへほうる子、ずるい子よ。
梨の芯は捨てるもの、だから
へ入れる子、およ。
そこらへすてた梨の芯、
がやんやら、ひいてゆく。
「ずるい子ちゃん、ありがとよ」
へ入れた梨の芯、
ごみ取りさん、取りに来て、
だまってごろごろ引いてゆく。
私達にとって良いことが、必ずしも地球上の他の兄弟たちにとっても、良いことだとは限りません。いえ、迷惑のほうが多いのでしょう。地球を傷つけ、汚しているのは私達人間。
地球の立場で考える時が来ているのかなと思います。ごみ問題、生活習慣、農漁業、商工業。原発や平和。自然と地球をもっと大事にしたい。
本日のご来店心よりお待ち致しております。