感謝文
令和6年10月19日
静かに行く者は、健やかに行く
健やかに行く者は 遠くまで行く
静かに 健やかに 遠くまで
いやいや、多忙は幸福です。多忙な人間は多望な人間、つまり、希望の多い人間ということだから。
男がやりかけたことだ。行きつくところまで行くまでさ。今更振り返ったりしておられるか。
「短い人生だろう、人々とは友達になることだ。人間がほかの生き物と違う所以は、意思疎通できるということだからね」「私は誰に会っても、グッドモーニングということにしている。ただの挨拶ではない。本当にその人にとって、よい朝が来るようにとね」
尊敬するに足るひとを、一人でも二人でも多く持てるということ……。それは人生における何よりもの生きる力になることであろう。
青春とは、楽しむためのものじゃない。青春は鍛えるためのものなんだ。
百倍の夢を持とう。それで実現するのが十倍ぐらいだ。
城山三郎著「静かに健やかに遠くまで」
友達は「いいもんだ」といつも思っています。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
令和6年10月12日
お客様、ありがとうございます。
三人目の子がお腹にいた、二年前の夏。買物に出かける途中、あまりの暑さに眩暈がして目の前が真っ白になり、気を失ってしまったのです。目を覚ますと、そこは病院、私の手を握る小学生の高学年くらいの見知らぬ女の子。私が倒れたとき救急車を呼び、ずっと私の手を握ってくれていたのです。
「おばちゃん元気になって良かった!元気な赤ちゃん産んでね」と。「本当にありがとう」。涙が止まりませんでした。お腹にいた子も今では二歳、あの時の女の子のような優しい子に育ってほしいと願っています。 横須賀市 山田恵美子
その男の子が、おばあさんの孫かどう分かりません。車で信号待ちしている時でした。北海道の道は広く、ゆっくりとした足どりのおばあさんが半分くらい道を渡ったとき、もう信号が赤に変わりました。流石に慌てるおばあさん。その時後ろから来た小学四年くらいの男の子が、おばあさんの横にぴたっとくっついて、片手を上げこちらに会釈をしたのです。
渡り終えると、野球帽をとって、ペコンと私たちにお辞儀をしました。「いい子ね」と思わず呟く私の瞼が熱くなりました。 札幌市 神田和子
「涙が出るほどいい話」から二題。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和6年10月5日
お客様、ありがとうございます。
米不足で、大変ご心配をおかけしました。価格も3割以上の値上げになり、申し訳ございません。
昨年7月3日の新聞「農民」には、日本の農政の怠慢だとの記事。農水省の「営農類型別農業経営統計」から稲作農家の所得を計算すると、近年の稲作経営一戸あたりの農業所得、たった1万円。
現在の危機は、農政六十年間のなれの果てと。
食糧自給率三十八%(イギリス七〇%、韓国でも四十四%)農家の平均年齢六十八歳。農地は六十年前六百八万ヘクタールが四百三十二万ヘクタールに。農業従事者数は今、百十六万人で、全就業者数の一.七%。十年後はその半数だとか。農家一人で百人分の農産物生産ができると思いますか。
自民党総裁選、立民党代表選がありましたが、食糧問題、農業問題に具体的に言及した政治家は一人も居ません。異常気象、世界的飢饉、戦争などで輸入が止まったら、日本人はどうなるか。
今こそ、自分事として、考えねば、日本人も、日本という国もなくなるかもしれません。
この食糧問題、農業問題を解決させるためには少なくとも三十年、五十年かかる筈なんですが。
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令和6年9月28日
お客様、ありがとうございます。
日本人は自分も自然の一部と感じている。そして、自然=ありのままを一番と考えている。
日本人は、自然に対する態度として、自然と共に生き、自然の恵みに感謝しつつ、いかに自然を生かせるかを常に考えている。
ちなみに、大方の日本人は、努力すること、働くことを自然なことと考えている。だから、働けることを幸せと感じている。生物にとって働くことは当然で、自然なことなのである。
日本人は、働いてこそ充実した人生になるのだと思っている。勤勉は人のお役に立つことであり、おのれを磨き幸せを掴むための徳なのである。
欧米人は、自分は自然とは別の特別なものと考えている。人間は自然より上にあると考えている。だから、自然は対決するもの、そして、征服するものと思っている。したがって、自然のものに、必ず、人の手を加えようとする。(例えば、木肌を愛でるのではなく、ペンキを塗ってしまおうとする。) 場の言語学試論より
日本人にとって、働くは労働ではないのです。
勤勉こそ日本人の財、日本の資源なのです。
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令和6年9月21日
お客様、ありがとうございます。
どんな人間にでも「我」はあるの。人間の本性なの。その我は気ままやから、知恵で押さえるの。
教育のない者ほど気ままで我が強いの。我ばかり通していたら、平和はないの。強いやつが弱い者を食いよるの。我の強い者は、滋養にならんから、牛もくわないかん、魚も摂らないかんというの。そんなことあらへんの。野菜食うても生きられるの。粗末な生活していても生きていられるの。人間ほど怖いやつはあらへんの。狸でも狐でも昼、姿を見せたら、捕まって皮を剥かれるから皆逃げるの。人間と畜生との間で、向こうが弱いために一生苦しみよる。昔やったら、百姓が米つくって、それを殿様が皆取ってしまいよる。百姓は、稗食ったらいいのと言う。そういう差別の社会が、人間の難儀な世界やの。それは我が働くの。宗教の知恵があったら可哀想やなと我を抑えて、まあまあ堪忍してやれというの。例えば、彼岸になったら信心の家は、彼岸の供養にシジミ一升川へ流してやる。彼岸の中日だけは、魚を殺すのは止めてやれ。宗教を持ちましたら、それだけの同情と慈悲心が湧いてくるそれが知恵やの。
清水寺前貫主 大西良慶和上百七歳 法話より
明日は彼岸の中日。お墓参りしましょう。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。