感謝文
令和7年9月27日
お客様、ありがとうございます。
「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」
私の信念を込めた言葉です。何事を始めるにも大切なことは一歩を踏み出す勇気。まずこの一歩を踏み出さなければ、前に進むことはできません。
スタートしなければ、ゴールもないのです。
具体的には足元のゴミを拾う実践から始めることです。ゴミを目にしたら腰をかがめてサッと拾う。この実践を続けているだけで、気づきに対する直感力が研ぎ澄まされてきます。同時に突発的な問題に対する判断能力が高まってきます。
ゴミを拾っていて感じることは、ゴミを捨てる人は捨てる一方。反対に拾う人は無神経に捨てることもしません。この差は、年月がたてばたつほど大きな差となって表れてきます。人生はすべてこうしたことの積み重ねですから、ゴミひとつといえども小さなことではありません。
いつも「志は高く、実践は足もとから」
第一、足もとのゴミひとつ拾えぬほどの人間に何が出来ましょうか。 イエローハット創業者鍵山秀三郎
散歩の時にゴミ拾いしてます。今、道端の草花を机の前に活けるようになりました。何か優しい気持ちになります。八十歳過ぎての気づきです。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和7年9月20日
お客様、ありがとうございます。
子供にとって家族団らんの食卓は、家族揃って楽しい雰囲気の食事で、家族愛が育まれ絆が深まり、お互いが情報交換でき、親密なコミュニケーションの場となります。
また、大人がおいしそうに食べるのを見ると、子供も苦手なもの、初めて見るものにもチャレンジしてみようと意欲が湧き、さらに家族に応援してもらったり、褒めてもらうことで、食べず嫌いや、好き嫌いも減ります。
食事の挨拶やスプーン、お箸の使い方、他の人を思いやるなど、社会生活の基本となる食事のマナーについても、子供は大人を見て自然に学んでいきます。
しかし、家族団らんは、今は減る一方です。
生活習慣が多様化する中で、夕食時間に家族みんなが揃うことが少なくなったことが第一の要因でしょう。問題はそれでよいのかということです。
なんとか週に二回くらいは、家族団らんの場が持てるようにしたいものです。
今や、家族団らんという言葉さえ、死語になりつつあります。家族の絆、家族の愛を育む場として、再考する必要があるのではないでしょうか。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和7年9月13日
お客様、ありがとうございます。
とある小さな駅でのことでした。
夕方のラッシュ時。帰宅を急ぐ人達が改札口付近に群がっています。群衆は赤い公衆電話を囲んでいるのです。
そこには中年の男性が泣きながら電話をしていました。その男性は電話を抱きかかえて象のように号泣しているのです。
よほど悲しいことがあったと見えます。
あるいは大切な人が亡くなられた、その知らせを受けたのかも知れません。
彼がひとしきり泣くと、腰の曲がったおばあさんが赤電話に近づきました。周りにいた人々は、おばあさんがどうするのかを見守ります。
するとおばあさんは、懐から白いハンカチを取り出して、うつむいている人の手に持たせました。
「涙をふいてな。それからまたお泣き」
そう言ってどこかへ消えて行きました。
「涙が出るほどいい話」 神戸市 川端由佳(二十九歳)
心優しいお婆さんの粋で、素敵なお話です。
おじいさん、おばあさんありがとう。
明後日、十五日は「敬老の日」。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和7年9月6日
お客様、ありがとうございます。
最近「超加工食品」という言葉を目にすること多く、気になっている方も増えておられます。
「超加工食品」とは、複数の食材を工業的に配合して製造された、加工の程度が非常に高い食品で、ソーセージや菓子パン、清涼飲料などが代表的なものです。脂質やナトリウムを多く含む一方で、たんぱく質や食物繊維、ビタミン・ミネラル類の含有量が少ないため、食事全体の質が低下します。超加工食品を摂り過ぎると、栄養バランスの乱れと腸内環境の悪化の二点から肥満や糖尿病、心血管疾患、うつ症状や不安といった症状も出ます。一方で、食品添加物は風味や食感をよくしたり、食品の品質安定化、生産コストを抑えるなどの目的で使用されており、便利で手軽で、私たちの生活を豊かにしてくれる一面もあります。
今の時代、否定するだけではいけないと思いますが、私たちの健康は日々の食品の選択によって大きく変わります。魚介類や新鮮な野菜、果物など自然の食材に目を向けて、超加工食品を取り過ぎにならないように心掛けたいものです。
東大医学部篠崎奈々助教らの研究グループは、現在の食のあり方に警鐘を鳴らしています。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。
令和7年8月30日
お客様、ありがとうございます。
今年百二歳となられた茶道裏千家前家元の千玄室氏(八月十四日ご逝去)が生前言われていました。
東日本大震災の苦しみから立ち上がるべく、沢山の人達が今も頑張っておられます。被災者の方とお目に掛かってお話をしたり、お茶を差し上げたりしました。あるお婆さんにお茶を差し上げた時、「ああ、このお茶が頂けてよかったな。お茶のことは知らんけど、この点ててもろうたお茶が、どんなに心を癒やしてくれたことか」としみじみ、言われました。それを伺ったときに私は「たった一椀のお茶でも、こんなに役に立つのだな。ありがたいな。もっともっと多くの方にこの一椀のお茶を飲んでいただいて、皆さんが少しでも苦しみ、
悲しみから逃れられるようにしなければいけない」と自分に言い聞かせたものです。大切なのは、そういう思いやりの気持ちを失わないで、他の人に対して手を差し伸べていくことではないかと。
その時に人生の本当の幸せを感じられるのではないでしょうか。「ありがたいな、もったいないな」という気持ちを多くの人が持っていただけたら、平和という言葉を使わなくても本当に落ち着いた世の中になっていくのではないでしょうか。
本日のご来店心よりお待ちいたしております。


