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感謝文

平成29年11月12日

「の書を読むに、あらざるよりは、いずくんぞ、の人たるをえん。」


 (多くの本を読み、勉強しなければ、どうして名を残すような立派な人間になることができようか、しっかり勉強しなさい。)


 このの言葉を、松陰の、山口県の小学校では、二年生の一学期に毎朝、皆で声高らかにしています。


 二学期には、この言葉の続き「のをんずるにあらざるよりは、いずくんぞの安きをいたすをえん。」を毎朝朗唱します。


 (のこともをしまず働くようでなければ、どうして多くの人のためにくすようなな人間になれようか。」


 このように毎学期ひとつの言葉を明倫小学校では、六年間。一八の言葉を朗唱させています。


 小学生では、なかなか理解できない言葉ですが、大人になっていつの日か、生きてくるのです。「学歴はなくても立派な人は多いけど、を読まなくて、立派な人はいない。」森信三。


 読書の秋、本を読む習慣を身につけましょう。


 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成29年11月5日

今、日本中の多くのお父さんお母さんは、子どもがんで「痛い」といっても、「痛くない」と言い、こだまさなくなったのです。もちろん、お父さん、お母さんは痛くないでしょう。でもこのお父さんなら、お母さんなら愛してくれると思って生まれてきた子どもたちです。そのお父さんや、お母さんに「痛くない」といわれた子どもの「痛さ」は、いったいどこへ行くのでしょう。のつもりで言った「痛くない」ですが、励ましも、も先ずこだまをしないと、力を発揮しないのです。こだまとは現状を丸ごと受け入れることなのにそれを忘れているのです。転んで「痛い」と言ったとき、昔の両親や、おじいさんおばあさんは「痛いね、痛いね、かわいそうだねえ」と丸ごと受け入れてくれました。それでも「痛い」「痛い」と泣いていると「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んで行け」と呪文で痛いのを飛ばしてくれました。悲しくて泣いているときも同じです。泣いているときは一緒に泣いてあげて欲しいのです。みすゞさんの「こだまでしょうか」を読んで。矢崎節夫本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成29年10月29日

ハロウィンはヨーロッパをとする民族行事で、古代ケルト民族の秋の収穫感謝祭が起源と言われてます。


 古代ケルト民族の1年の終わりは月日で、この夜には死者のが親族を訪ねたり、が降りて作物を荒らすと信じられていました。そこから、秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す祭りが行われるようになり、現在のハロウインとなったようです。


 子どもたちがして街を練り歩き、「Trick or Treat!(お菓子をくれないといたずらするぞ)」と言って、近所の家からお菓子をもらう由来は、中世に農民が祭り用の食料をもらって歩いた様子をまねたものです。


 ハロウィンは一言で言うと日本のお盆です。 ただ、ハロウィンの場合は、死者のだけでなく魔物もこの世にやってきます。この時、魔物に魂をとられたくないために、仮装をするのです。目と口が付いたカボチャは、天国へも、地獄へも行けずさまよい続けているジャックが、悪魔にもらったです。


 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成29年10月22日

生きているということは誰かに借りを作ること


生きているということは


その借りを返していくこと


誰かに借りたら 誰かに返そう


誰かにそうしてもらったように


誰かにそうしてあげよう


生きていくということは誰かと手をつなぐこと


つないだ手のぬくもりを忘れないでいること


めぐりあい 愛しあい やがて別れの日


その時に悔やまないように


今日を明日を生きよう


人は一人では生きてゆけない


誰も一人では歩いてゆけない


           「生きているということは」永六輔


 私達は、つい一人で生きてきたような顔をしているけど、本当はたくさんの人にいっぱい助けられて生きています。返しても返しても、きっと追いつかないほど支えられているのです。


 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成29年10月15日

昭和20年8月6日の朝、広島の方の空を異様な光ががしたのです。と、間もなく大音響がして、熱気を帯びた空気に包まれました。


 「広島がやられた」私は広島に住む家族、母や兄妹たちのことを思いました。その思いにかされて、私は山を越え、広島へ。私は家族の姿を求めて歩き回りました。ふと、死体のように横たわっていた人がむくりと動いて、私の足首をつかみました。私はそれを振り切って進みました。「助けて」「水を」と動けなくなった人たちの呼びかける声に耳をふさいで通りすぎました。どこが道かもわからないままに、を踏みつけて歩きました。私は助けを求める何人かの人を見捨てたのです。には、私が見捨て、無視して通りすぎた人たちの遺骨が、納まっているかもしれないのです。「ごめんなさい」「すみませんでした」ても詫びてもきれるものではありません。習わぬおを唱えホウキで、草を1本1本むしらずにはいられないのです。佐伯敏子・広島原爆被害者ノーベル平和賞に。今こそ核廃絶の時。本日のご来店心よりお待ち致しております。