MaruichiMaruichi

Life 感謝文

令和5年12月2日

お客様、ありがとうございます。

「生きているということは」 永六輔

生きているということは

誰かに借りをつくること

生きているということは

その借りを返していくこと

誰かに借りたら 誰かに返そお

誰かにそうしてもらったように

誰かにそうしてあげよお

生きていくということは

誰かと手をつなぐこと

つないだ手の温もりを

忘れないでいること

めぐり逢い、愛しあい、

やがて別れのその時、

悔いのないように 今日を明日を生きよお

人は一人では生きて行けないから

誰でも一人では歩いて行けないから

「恩おくり」という言葉があります。

誰かに受けた恩は誰かに返そう。

知らない人から受けた恩も。

本当はいろんな人にお世話や支えを受けて生活し、

いつも借りを作っているんだよ、

できることから返していこうねと、

呼びかけておられます。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

 

令和5年11月25日

お客様、ありがとうございます。

社会が円滑に回って行くためにはみんなが一所懸命学び、真面目に働き続けなくてはなりません。その歩みを止めると社会の勢いが弱まり停滞してしまい、ちょうど今の日本はその状態にあるのではと心配しているのです。江戸時代の人はよく学びました。幼いときから寺小屋等で「実語教」や「論語」を学び、学問の大切さをよく知っていました。それが明治維新へとつながり、日本を守れたのです。当時、東洋の小さな島国日本は奇跡の国と言われました。その後、明治・大正・昭和を経て、西欧諸国に負けない近代国家となった日本でした。しかし、第二次世界大戦で敗れ、焼け野原になりましたが、三十年後、GDP世界二位と、再び世界の経済大国になったのです。それも当時の人たちが、戦前戦後の教育を受けて、教育国家と言われるくらいになり、ワーカーホリックと言われるくらい働いたからです。もしも、私たちが学びを忘れ、働くことを怠れば、やがて日本は滅ぶでしょう。今こそ、よく学び、よく働かなくてはいけないのです。 子どもの実語教 齋藤孝

この提言が、昭和男児の杞憂に終われば良いのですが。

一昨日二十三日は「勤労感謝の日」でした。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和5年11月18日

お客様、ありがとうございます。

お釈迦さまの言葉です。

すべてが、 あなたにちょうどいい。

今のあなたに、今の夫がちょうどいい。

今のあなたに、今の妻がちょうどいい。

今のあなたに、今の親がちょうどいい。

今のあなたに、今の子どもがちょうどいい。

今のあなたに、今の兄弟がちょうどいい。

今のあなたに、今の友人がちょうどいい。

今のあなたに、今の仕事がちょうどいい。

死ぬ日も、あなたにちょうどいい。

すべてが、あなたにちょうどいい。

11月22日は「いい夫婦の日」です。

『いい夫婦の日 気づかずにいる いい夫婦』

『50点 同士でいいさ 足せば100』

『味噌汁と ご飯のような 夫婦仲』

『断捨離を してもあなたは 残します』

『アレアレが 通じるようになり 夫婦』

『いい夫婦 周りもみんな いい夫婦』

『妻といる だけでこんなに 青い空』

『寄り添えば あの日あの時 ほのぼのと』

あなたも一句作って見ませんか。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和5年11月11日

お客様、ありがとうございます。

安政元年三月二十八日、吉田松陰は金子重輔と共に伊豆下田に停泊していた軍艦に乗り付け、海外密航を企てた罪で牢に入れられた。その夜、松蔭が牢番に呼びかけた。「一つお願いがある。手元に読み物がない。何かお手元の書物を貸してもらえいだろうか」牢番はびっくり。「あなた方は大それた密航を企み、こうして捕まっているのだ。何も檻の中で勉強しなくてもいいではないか。どっちみち重いおしおきになるのだから」すると松蔭は「それは覚悟している。しかし、自分がおしおきになるまではまだ時間が多少ある。人間というものは、一日この世に生きておれば、一日の食物を食らい、一日の衣を着、一日の家に住む。それであるから、一日の学問、一日の事業を励んで、天地万物への御恩を報じなければならない。」この言葉に感心して、牢番は松蔭に本を貸した。松蔭は牢の中で重輔に向かってこういった「今日このときの読書こそ、本当の学問であるぞ。」牢に入って刑に処せられる前になっても松蔭は自己修養、勉強を止なかった。松蔭は、どうせ死ぬにしても最後の一瞬まで最善を尽くそうとしたのです。

読書の季節。勉強しなければ人生が勿体ない。

本日のご来店心よりお待ち致しております。

令和5年11月4日

お客様、ありがとうございます。

種の力。それは私が農業を始めて一番驚いたモノ。種は置かれた環境に合わせて適応する力を持っている偉大な生命だ。小さい頃、私は東京の郊外に住んでいた。近所のおじいさんの農作業を手伝ったお駄賃代わりに枝から直接もいで渡されたトマトのおいしかったこと。

アメリカでの生活を経て日本で野菜作りを始めたとき、あのおじいさんのトマトにどうにか近づきたくて夢中になった。でも現実は厳しかった。本を読み勉強し奮闘したけれど、まともに実がならない毎日。頭にきて畑を見渡すと、ふと、雑草に目が向いた。この子達は抜いても抜いても伸びるのに何で野菜はそうならないのだろう。そう思ったのが自然農法に出会うきっかけであった。

在来種の種を蒔き無肥料無農薬で、自然の力を利用する。そうすると種は、置かれた環境に自分で適応する。最初は不安だったけれど、実はなった。そしてその美味しさはおじいさんのトマトに近いモノだった。毎日畑にできた野菜をもいで、食卓に載せる。一番美味しさが引き立つ方法で料理する。それだけでとても満ち足りた気分になる。

工藤夕貴(俳優)十七歳でハリウッドデビュー

本日のご来店心よりお待ち致しております。