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感謝文

平成29年9月17日

清水寺初代管長大西良慶百七歳。


 ワシも今は一〇五歳。仏教では、又生まれ変わる、かといってすぐにでもあの世へ行かして、再び健康で若々しい肉体に生まれ変わりたいとは思わない。をつき、な身体であるけれど、やっぱりこのがおしい。を約束されてるでさえ、すぐにでも行きたいとは言わなかったそうな。


 になっても、この身が可愛いい。しかし長生きしてもでないとを喜べない。


 ワシは三つの原則をきた。一、良く食べる二、よく眠る三、よく働くである。


 だからこのまで元気で来られた。有り難い。


 良く食べるということは、甘い、辛い、そして苦いをそれぞれに美味しく食べる。


 よく眠るとは、いろいろ考えて寝てはいけない。眠ったら起こされるまで起きない覚悟で眠る。よく働くとは、今日を一所懸命に働く。


 自分の身をおしみ、自分の生きている世界を大いにおしんでいただきたい。我が身可愛さ、生きること百歳。まだまだ可愛く百五歳。


 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成29年9月10日

 「運のいい人はずっと運がいい、運の悪い人はずっと運が悪い」という法則があります。


 ジャンケンやあみだくじなどで、あの人はいつも勝つ、いつも当たると言われる人。身近にそういう人いませんか。


 まさに「運のいい人はずっと運がいい」です。


 ただし、運は変えることが出来ると多くの成功者はいわれます。


 松下電器の創業者松下幸之助さんは、どんなときでも「運がいい。運が良かった」といわれてました。海に落ちた時でも。


 人間学の小林さんは「ありがとう」を、のようにいっていれば、必ず運がついてくる、「宝くじでも当たる」と言ってました。


 離婚6回、結婚6回、98歳まで元気だった女流作家の宇野千代さんは、いつも小声で「幸せだなあ」といたそうです。


 「ツイテル、ツイテル」といつも言ってたら、必ずついてくると、誰かがいってました。


 「の家にあり」。「」を積むと、必ず良いことが有ると、昔の人はいってました。


 本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成29年9月3日

安政元年三月二七日、は金子重輔と共に伊豆下田にしていたアメリカのに乗り込もうとして失敗し、下田のにつながれます。


一夜明け、松陰はに「に本がないから、何かお手元の本を貸してくれませんか」と頼みます。牢番はびっくりして「あなたたちは大それたを、明日の命もらない。こんな時に勉強しなくてもいいのではないか」


この牢番の言葉に松陰はこう言うのです。


 「およそ人一日この世にあれば、一日の食をらい、一日のを、一日の家に居る。なんぞ一日の学問、一日の事業をまざらんや」


 明日をも知れない命なのに、本が読みたい、学びたいと言う吉田松陰。


 今の教育は、食べて行くための勉強である。 江戸時代の教育の目的は、より良き人間をつくることが目的だった。人間らしく生きるための勉強であった。「死ぬまで一日たりとも無にしない」松陰としては当たり前のことであった。


日本の教育について考える時ではないだろうか。占部賢志(致知九月号)。二学期が始まりました。本日のご来店心よりお待ち致しております。

平成29年8月27日

ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。だから、今、ぼくはガンバッている。今はヘタだけれどガンバッて必ず世界一になる。そして、世界一になったら、大金持ちになって親孝行する。


 Wカップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。そしてレギュラーになって番で活躍します。


 (中略)一年間の給料は億円はほしいです。世界中のみんなが注目し、世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。


 セリエAで活躍しているぼくは、日本に帰りミーティングをし番をもらってチームの看板です。ブラジルと決勝戦をし2対1でブラジルを破りたいです。(後略)


  本田圭佑「将来の夢」小学校卒業文集より


 夢を実現する上で大事なものは、第一、夢を素直に信じている。第二、夢に対して代償を進んで支払おうとする気持ちが強い。第三、報恩の心を持っているだそうです。


 本日のご来店心よりお待ち致しております

平成29年8月20日

「学問のすすめ」を書き、慶応大学を設立し、明治の日本人を牽引した福澤諭吉の父・にまつわる話です。江戸時代の日本には、一文銭の穴にを通して九六枚をにしておけば、百文として使用できる習慣がありました。


 ある時、百助はその中から数枚を抜き、うっかり、妻のに伝えないまま外出したことがありました。帰宅すると一文銭の輪っかがありません。於順から魚屋に代金として渡したと聞いた百助は、人足をってまで一日がかりで魚屋を探し出し、にを述べた上で不足していた代金を払い、人足にも一日の手当てを支払ったというのです。


 そのが父の形見として家に残っていることを母から聞き、いたく感動した福澤は、この古銭を大事にするとともに、子供たちには「我が父は正直で一途な人だった。これを家宝として子々孫々まで伝えていってほしい」と言い残したといいます。福澤の正直でな人柄がそこには見て取れます。いつの世でも、正直者が馬鹿を見る社会にしてはいけません。


 本日のご来店心よりお待ち致しております。